藤木 英雄 / 刑法総論

このような本(というより”基本書”)をブログに書いたりすると、いかにも法学やってます、みたいなナルシズムが出て気持が悪いのです。そういうページが目立って、変な安心を求めたいのか、みくし的な狭いコミュを作りたいのか、まあ、そういうことはどうでもいいんですが、僕自身のやってることがそうである可能性も大いにあるので、この点についてはこれ以上触れません。

法学では、なぜかテキストのことを基本書と呼ぶ。基本、というからには、これに対する応用があるのかというと、”応用書”なる言葉は聞いたことがない。法学をやると、まず、各法律につき基本書を買い求め、これに加えて、裁判所の判例(のなかでも特に重要なもの)をまとめた判例集を買う。これを併用して使うのが、まず誰でもやっているスタイルで、使い方は、まあ人によるのでしょうし、中には判例の文言をひたすら覚えようとする人も(かなり)いる。そんなことが意味無いのは、普通分かりそうなものですが、暗記というのは、作業自体は物凄く大変なのに、勉強法としては実際は相当に楽ですから。
もし、基本、なるものがあるのなら、それはおそらく、ある価値観なのだと思うし、それが仕組みとして現れているのが、法制度なんだろうと思う。
民法ならば、絶対的に、そこには近代的な資本主義的な考え方、たとえば、人が何かを所有する、という、近代以前はちっとも当たり前じゃなかった価値観が、その根底にある。加えて、人間の意思、が中心となる、という、これまた近代以前はぜんぜん変だった考え方が根底にある。
そこに、人と人との関わり、コミュニティ、社会のなかでの取引、こういったものから、お互いの信頼を奪ってはいけない、取引は安心してできなければならない、などの様々な価値観が加わって、大きな制度になる。
これを定めたりするのが、まあ、法律の役割だったわけです。これは、パズルでもゲームでもない。ましてや、正解を求める”問題”なんかじゃあないんです。


こうなってくると、基本書、ってどういう存在なんだ、が見えてきそうなものですが、実際はそうでもない。
価値観→制度、を明確に語る本はそんなにない。

ロースクールでは”予備校本”排斥運動のようなものが、どこの学校でも為されているらしい。法学者たちは、予備校で作られた本が、とにかく嫌いで、「予備校で勉強して試験に受かる」という「王道」パターンを潰すために、ロースクールが作られたというのは、半分は本当です。
そして、それ自体は間違っていないと思う。予備校本は、価値観を雄弁には語ってくれない。どこかの誰かみたいで嫌ですけど、本として美しくない。
あれは、勉強なのか、とそこで学んでいた自分は、いまではそう思う。当時も、たぶん感じていました。


藤木先生はずいぶん前に亡くなられた刑法学者で、法学の世界ではもはや伝説のようになられている方です。
東大の法学部のようなところになると、俗にいう「天才」が溢れているのでしょうが、藤木先生は、掛け値なしのそうだったと言われる。
東大法学部を主席で卒業、国家公務員試験と司法試験にトップ合格、などと離れ業をやりつつ、希望だった法曹にならず、引きとめられて学者となり、若くして教授、と進みつつ、過労のため45歳で夭折。
と、伝説になるような条件を兼ね備えていますが、僕はそこに魅力を感じるわけでもなんでもない。長生きはされて欲しかったと心から思いますが。

この本は、教科書ですが、それだけの本じゃない。
新しい理論、時代の変化によって、法学は歴史的なものになっていってしまうことが多いです。藤木先生も例外ではなく、この本を使ってる学生が、いまどれだけいるのか分からない。僕の周囲には誰もいません。
けれど、この本は、教科書であって、そうでもない。刑法がなんのためにあるのか、難解な論理の極みのような、刑法理論がなぜ存在して、どう存在してはいけないのか、この本を読んでいて思うところは本当に多い。刑法=犯罪の法律、などという理解はどこかに飛んでいく。


正直に言えば、僕は刑法が好きじゃない。刑事訴訟法はもっと好きじゃない。
難しいから、でもなくて(どちらかといえば得意なほうだと思う)、ひどく冷たい感じがするからです。
それは、人を罰する法だから、犯罪が嫌いだから、なんかじゃぁないんですが。
理論、がひどくパズルに見える。
ある意味、美しい。数学の公式のように綺麗、なのに、それは数学とは異なってどこにも線や点とは違うのです。リアルなんだ、文字通りの意味で。



藤木先生は、過失犯の分野で斬新な理論を作りましたが、その藤木先生の説を安易に批判する学者の人が多いなか、結局は理論遊びでやってるようにしか見えない人が多いです。説を批判するのは構わないのですが、同じ場所で議論しているようには見えない。
僕は、自分の頭が、何かを理解しようという方向にばかり傾く時は、この本を支えている価値観に触れるようにします。
これこそ、基本書、だと思う。