時代は痙攣する

julien2008-06-05

0013 New Order "Ceremony" (1981)

80年代は「踊れること」が音楽の重要な要素であったことを、ロックがようやく理解した年代だったと思う。ブラックミュージックではごく当たり前のことでも、それに気付くか否かは大きな違いである。たとえエルヴィスやビートルズを聞いて踊り狂った時代がかつてあったとしても、70年代前半を見れば分かるように、踊れることが大事だなんてことはちっとも自覚されていなかった。
もちろんダンスといっても様々なリズムとそれに沿う様々な態様のものがあるのだが、この時代に「踊る」というだけの単純な視点からこれら雑多なものが一気になだれこんだ結果、ニュ−ウェイヴなる実体はなんだかわからない「新しい波」となった。
つまり、ニューウェイヴといわれるものにはエレポップ、レゲエ、スカ、ソウルからファンク、ジャズ、果てはノイズ・コンクレートのような現代音楽の影響を受けたものまで、まあ実に様々なのであるが、これらがニューウェイヴと総括されて捉えられ、歴史的に記述され、現代ではガイド本まであるのには、やはり理由があるだろう。私はそれを、勝手に「ダンス」だと理解しているのである(もっともその裾野からはみ出ているものもあるが)。
ニューウェイヴの直前のロックンロールを引っ張ったのは紛れもなくパンクである。しかし、パンクはそもそもは新しいものでもなんでもなく、ある意味過去の再発見、拡大解釈によるものだから(5,60年代にパンクとしか思えない音楽はいくらでもある)、時代に直面すことで嫌でも科学変化のようなものを起こす。だから、クラッシュもジャムもピストルズも、ウルトラボックスもブロンディーもトーキングヘッズ、バズコックスでさえ、ニューウェイヴになっていくのである。

その中で、奇跡的なほどにその経過を示してくれるのがジョイ・ディヴィジョンである。彼らのデビュー曲の"Transmission"は明らかにパンクだが、サビで「踊れ、踊れ、ラジオに合わせて踊れ」と騒いでいる。その後、あの嫌になるほど陰鬱で突き刺さるほどに文学的な歌詞で変拍子な素晴らしい曲の山を築くが、彼らが目指したものは紛れもなく踊れるものである。それは、最後の曲であって(ライブ音源のみ残る)、またイアン自殺後にニューオーダーとして再出発する彼らのデビュー曲にもなった、この「Ceremony」が表象する。もっとも、「踊れる」といっても、それは陰鬱なものでもあり、快楽でも開放でもないこともある。イアン・カーティスの歌っている映像を見れば分かるように、彼は癲癇にかかったかのようにひきつった様相で踊るのである。

踊るというのは、リズムに合わせて身体を動かすことであるが、時間の流れに乗ることでもある。音楽を聴くこと自体が、決定的に時間の流れに支配されるものであるが、踊る場合は、そのなかでも思考のリズムの独奏・独走を許さず、むしろ身体に従属させる。「やれ、心身二元論の限界」などとつまらないことを言い出すまでもなく、そこでは徹底的に身体が時間に乗り、思考をそれに従わせるのである。

踊ることは、思考を一瞬停止させる。その効果は絶大であって、時代、世界、いま体が触れているものに対し、思考は嫌でも謙虚になり、検挙される。70年代までの怨念は振り払われ、成長と発展は、極めて資本主義的になった。
それが80年代を切り開き、今に至る。しかし、思考は停めてはならない。従属し謙虚になることと、隷属することは違うのである。踊り終えた後は、また思考が始まらなければならない。


イアンの痙攣は、真摯である。彼のように並外れた視力をもつ人間には見えただろう。時代に合わせて踊るということは、こういうことだ。形式でなく、時代がその形式を決めるのである。80年代の初めにあって、彼は時代が痙攣することを身をもって示した。
それは、様式美となりセレモニー(=儀式)となった。
ニューオーダーはここから始めざるをえなかった。それは「新しい秩序」である。そこには、痙攣するしかない時代の先を見ようとする姿勢が十分であった。しかし、彼らの素晴らしい曲群は紛れも無く新たな秩序であったが、それは痙攣に対する答えとはなったのだろうか。彼らは、イアンがいたころからロック史上に残るバンドであったが、イアン死後にチャート的にも歴史に残った。しかし、それは、教祖の死後に様式化していく宗教のようでもある。92年に発表する"Reglet"で、彼らは後悔する。しかし、もはや遅く、次なる時代に合わせた踊りは、いまだに発明・発見されてはいないと思う。そこにあるのは孤独である。陽気に踊る人々は、世界や時代から決定的に孤独なのである。
今、イアンが踊るとしたら、果たしてどんな風に踊るのだろうか?その瞬間、何を見るのだろうか?そして、私は不器用だ。私の踊りは、抵抗にしかならない。それは、イアンの示したものとはまだ違うのである。