in and out

julien2008-04-16

0011 東京事変 "閃光少女" (2007)

ここでは古い曲ばかり書くつもりでもないんですが、最近は耳に入ってくる以上にすら積極的に新曲を聴いたりできないので、どうしても古いのばかりになる。そして、古いの定義は適当で、最近のもの以外は全部そちらのカテゴリーに入るので50年代も00年代も変わらない。通時的な視線は考えようとする時以外はあまり機能しません。
それでこの曲が新しいのかといえば、私にはものすごく新しいので、昨年のものでも新曲扱いです。
この曲にしたのは、先日書いた話と重なるようで重ならないからで、曲調と歌詞がなんとも合っていて自然に入ってくる。ナンバーガールの『透明少女』へのアンサーソングみたいに個人的には捉えてますが、椎名林檎はこういう歌詞を書かせると絶品。そして、この曲の主人公の子は、僕にはほとんど異質物であって、遺失物でもあるように感じる。こういう感覚で今を生きていけるとはもう思えない。
こんなのは単なる刹那的な生き方だと笑い飛ばせない。「昨日の予想が感動を奪うわ、先周りしないで」「昨日の誤解で歪んだピントは新しく合わせてね」の辺りで、別になんにも考えて無いわけじゃないって分かるし、つまりは、いつも先のことを考えてしまう自分、いまの瞬間を感じない自分をつきはなすようにする。このようにできないからしようとしてるのであって、偉そうでもなんでもなく、疾走する感覚、瞬間の閃光を切り取る。
作曲の亀田さんは何気なく思ったことを残したいと思ったといい、林檎がつけた歌詞に自分もこう感じたいと話してましたが、私にはたぶん不可能だ。そして、この感覚は憧れであって、予測可能なルールを理想とする社会、私が学ぶ法などはその最たるものであるから、私には憧れになってしまう。
私だけじゃない、大人はもちろん、少年にもこんなことはできるのだろうか。私はこんな瞬間にいつも少女が羨ましいと思う。10代の頃からいつもそう思っていた。いまになってこんな曲を聴けて嬉しいと思うけれど、同時にいまの自分との距離を感じる、そして、だから歌は素晴らしいと思う。
聴いていると瞬間的に開けてくる感覚はある、それが閉じないうちに曲は終わる。けれど、その瞬間にどこか閉じてしまう。せめて、少しだけでも光が漏れるくらいに開けておけたら。