Cajun Dance Party / The Colourful Life (2008)

julien2008-05-27

年初辺りのクロスビートで、今年の注目アーティストとして紹介されていた彼ら。

アルバムはもう、聴くだけでいい、音楽を言葉でいちいち表さなくてもいい、とも思ったが、彼らに対して「今年の一推しはこれ」だとか、「若者の繊細な感情」だとか、もう余りに下らない言葉ばかりがネット上に溢れており、そこまで音楽を消耗品にするのかとかなり気分が悪くなったので、少しギャーギャー叫ぶことにした。以下はそのギャーギャー。


デビュー当初からのチェックなど一切無しでアルバムを通して聞いてみたが、全体的にマイナーコードの曲が多く、少し前のバンドのナイン・ブラック・アルプスに似た印象だが、曲調も単調なUSバンド勢とは随分と異なる。変調を繰り返し、ギターもヒリヒリしたものが多く、この辺はかつてのリバティーンズのようだ。それでいて、アークティックモンキーズの影響も感じる。こう見るといかにもUKのバンドで、時の流れに沿って素直に登場しました、といった印象。
しかし、彼らがまだ高校生。ということを考えれば、ある意味これは異常なテンションなのである。
ジャケットは、一見ヴァン・ゴッホの『ひまわり』を連想させるが(日本ではこれについて書いているものさえない)、それらは色褪せ枯れて、夏の終わりを思わせる。このアルバムの発売がつい最近の、これから夏、という時期なのにである。しかも、あえて古い言い方をすれば彼らはいまが「青春」、つまり春である。春から朱い夏へと向かうなか、なぜか彼らのアルバムはジャケットから枯れていくのだ。ポスト・アークティックモンキーズなどと言われており(もうポストが必要なのか?とも思うが)、確かにそうなのかもしれないが、アークティックのジャケットのあの髭面といい、彼らが、ちっとも「格好付けない」理由が不思議だ。ポップでキャッチーな売上げを狙っただけのような日本のジャケットとは恐ろしく異なるこの自己主張。陰鬱な自己主張。
歌詞も同じ。現在の自分を見つめたこの内省的な世界。それでいてタイトルの「色彩にあふれた生活」とのギャップ、これは彼ら一流のアイロニックなジョークなのか、しかし、それにしては、彼らは若すぎ、歌詞は直截であまりに真摯だ。(ちなみに、いちいち書くのも嫌らしいが、日本の彼らのオフィシャルサイトでは、このタイトルとジャケットのギャップを「矛盾」などと書いていて、もう呆れ果てて言葉もない。)

いくつかの曲にあるストリングスやピアノによる流麗なアレンジはプロデューサーのバーナード・バトラーによる部分が大きいのだろうが、余計に枯淡の色彩に溢れる。


現在のイギリスは、長く続いた労働党政権の失速が目立ち(ブラウン政権の支持率は福田さん同様の急速な低落)、本来革新的であった同党が保守アメリカと足並みを揃えた結果、かえって保守的な政党がますます保守的となり、世界的な経済的混乱と相俟って、何がなんだかわからない状況ではある。
*なお、「赤」は労働党の色、「青」は保守党の色、「黄」はイギリス自民党の色である。青い春はとうに過ぎ、朱い夏も終わる、そして黄色いひまわりは枯れていく。もし、ジャケットについてここまで考えていてのことだとしたら、もう凄まじいセンスである。もっとも、自分でも考えすぎだと少し思うが。


不安を抱えて夏を迎えるのは日本だけではない。
50年代のキラキラとしたポップスに溢れたような、ビーチボーイズが歌ったようなあの夏はもうどこにもない。季節も色彩も、いまは素直に若者に味方してくれたりはしない。若者はいつでも横の連帯の架空の夢を思い描き、オアシスがその反動のように始めた自己主張も、左右を見渡せない世界では、エゴと傲慢さの膨れ上がりを抑えられなくなった。かえって小さなコミュニティが氾濫し、小さな横の連帯と、膨れ上がった自己満足の追求で、もはや目の前に広がる青い空と海は、どこの夏にも存在しない。
小さな砂浜の片隅には闇が広がり、そこで起こる犯罪のニュースばかりで海の色は褪せて行く。

彼らの内省はひたすら精一杯である。これが限界か、その先へとどうやってつなぐのか。
このアルバムを聞きながら、思うことはたくさんある。
彼らの言う通り、確かに、私たちにできることをひとつひとつやっていくしかないだろう。
もし目の前に壁があるとしたら、私たちは空を高くしよう。翼があれば、それを越えられるだろう、だから、空をみる。
色褪せていることも、それもまた色彩に溢れること。


この作品は、必要なものはひたむきさしかないという今の時代を象徴する。こういうのを紛れも無い名盤と言う。これを聞いて『今年の「夏」フェスは』だとかそういうことを普通に考えられるのか?私には、そういう感覚はさっぱり分からない。だから、つまるところ、ギャーギャー言いたくなるのだ。