Manic Street Preachers / The Holy Bible (1994)

julien2004-04-18


2ndについて書いたものの続きです。
1995年2月1日というのが、リッチー・ジェイムスが最後に確認された日で、それ以来、彼の消息は不明のままです。「I Love You」と書き残してあったとか言われてましたが、それはニッキーがはっきり否定していて、要するに、突然失踪したということ、そして、もう彼を見た人はいないということ、ただ、それだけです。海岸に彼の車が乗り捨ててあったという以上、自殺したと考えるのが自然なのですが、ただ遺体が見つからないから、失踪したというように事件処理されたということです。
でも、やはり、彼は失踪したのだと思います。カート・コバーンが猟銃によって自殺したのが1994年4月8日だから、それから1年も経っていません。二つを重ねて語ることもできますが、自殺と失踪、このラインの引かれ方の違いが、そのまま二人の違いを表しているように思えるので、私にとってはリッチーはやはり失踪したのです。その不在は明確なものではなく、隠れたものとして存在し続けてるんだと思っています。
カートの死は明白な事件でした。不幸なことですが、彼の存在は死によって完結し、完成した側面はあると思う。それは予定されていたもののように感じてしまいます。世間が言うように、彼はファンからの「救世主」としての期待に押し潰されて「殺された」というよりは、パティ・スミスが言う("About A Boy")ように彼は「すべてを超えた男」で、だからこそ「二度と成長できない子供」になるしかなかったように。。。2004年に彼の歌を心から聞きたいと思いつつ、そんなことはありえないんだと思ってしまうのです。

でも、それに比べてリッチーは、けして死によっては完結しません。できないのです。彼の存在理由となっていたものが世界であった以上、彼の存在はパーソナルな死では完結しません。絶対に、彼の存在は個人的なものではありえない。彼が個人としての「リッチー・ジェイムス」にこだわったのなら、私は彼のために涙を流すでしょう。でも、彼はカートとは違って、鋭利な言葉の十字架を背負っただけでした。それだけが、彼の死を意味づける。だからこそ、彼は復活しなければならない。そのためにこそ、彼の死は復活を約束された死として、パーソナルな死ではなく失踪でなければならないんです。


自傷、拒食、アルコール依存、精神衰弱はリッチーの個人的な苦しみを語るけれど、彼の書いた詞は、そんな個人をはるかに超えて、真理に迫っていました。拒食症をテーマにした"4st 7lb"に出てくる「視野から完全に消え去るくらい痩せたいの 雪道を素足で歩いても 足跡さえ残らないくらいに」なんて、何度読んでも涙が出てくる。拒食症からここまで美しいイメージを引き出してくる彼を天才詩人と呼ぶのは正しいかもしれないけど、想像力がどれくらいの痛みを伴うものかを、私は痛いくらいに感じます。でも、こんなふうに彼は個人的なものを普遍へと高めるような人だったからこそ、彼の存在はいつだって必要なんです。孤独な悲しみも美へと高められることで、開かれたものになる。でも、リッチーは自分ひとりで苦しんで、どこかへ去ってしまいました。。



このアルバムは、真の意味でにマニックスにしか作れなかったもので、「田舎くさい」と当初笑われたタイトルも、そういう一般評を踏まえたうえで、笑われることが明白だったからこそ、あえて選ばれたものであるし、それを裏付けるように、マニックスの特徴である情緒性が徹底的に削ぎ落とされたものになっています。普段はニッキーとリッチーで半々に書いていた歌詞が、この作品ではほとんどリッチーの手によっています。これほど暗い詞ばかりのアルバムを私は他に聞いたことがないし、ダンスやブラックが好きな人にはありえない作品でしょう。
そしてこの異様な作品は、こうした言葉の世界を、彼の友人たちがこうした音で表現することで生まれたました。ポスト・パンクのようなギスギスした音が、信じがたいくらいのエネルギーを持って迫ってきます。曲の出来も圧倒的に素晴らしく、私の生涯の1枚であることはずっと変わりません。

  • Favorite Tracks

M1: Yes , M2: Ifwhiteamericatoldthetruthforonedayitsworldwouldfallapart , M5: Archive of Pain ,
M7: 4st 7lb , M9 : Faster , M13: P.C.P
ASIN:B000024J5H