The Smiths / The Queen Is Dead (1986)


最近は音楽にじっくりと浸る時間がない、新譜のチェックなどありえないことになってしまったので、こういう古いのを聴く。聴くものが山のようにあるのは幸いで、母親に言わせれば「もう買う必要なんてないでしょう」ということになるのですが、そうもいかない。というのも、相棒に先日指摘された通りに、自分の趣向が相当に変わってきている、変わるというよりは、たぶん根っこにあった感受帯のようなものが拡張してる。単純に言って、メロウでソウルなものに惹かれて轢かれて仕方が無いのです。
例えば、トッド・ラングレン。ロックの流れではもう聞けない。ヤマタツなんかを聞きたくて仕方がなくなるのも、たぶん同じ傾向。
ただ、メロウというかメロディ偏重なのはクラシックばかり聞いてた昔の名残のようなもので、リズムだけ、という音楽はなかなか厳しいものがあって、部屋で聞いてる場合はどっちもないと厳しい。メロウでソウルフルは、煙草が美味しいです。お酒もね。法律は野暮だなあ、と思いながら勉強してます。


僕は江戸っ子、ハートはパンクなんて言ってても気付いたら、年をとり、相応に自分に対して意固地になってる。柔軟な感覚と思考を、昔のように取り戻したい。ストレートにものを書けるようになったことは、自分でも悪く無い、と思うのだけれど。ただ、どれだけ頑固に、少し努力して柔軟に今を受け止められても、やはりどこか真っ青でいたい。焦って焦って真っ青な顔、空の色も青い、草の匂い、そういう青臭さを残して、ね。

でもって、スミスに関しては、今改めて聞いてると恥ずかしくなる・・というのも大昔に依存していた部分があるわけで、意識しないでも、あの頃いた場所の壁や天井が見えてくるのです。まあ、マッチョよりハンサムだよ、というのは昔も今も変わらず。まあ、悲しみで歯が痛くなるわけじゃないけれど、この音は変わらない。変わらないまま聴こえる。
あ、解説もなにもない。でも、時間切れ。僕はいまこれを聞いてます、という、それだけで。