夢の生まれる処

Symbole/Symbol(象徴)について少し考えてみます。

象徴はどのように定義されているのでしょうか。

① 慣習的象徴
これは、非常に広い意味である仕草や物が特殊な意味を付与されていることですね。
例えば、結婚式での指輪交換(=忠実の約束)、花言葉(ユリ=純潔)、秤(=正義)、水兵さん(=女子高生)、紋章、国旗など。
ちなみに、大天使ミカエルは秤を持ち、ガブリエルはユリを持ちます。象徴は宗教的な画像には欠かせないものなのです。
ちなみに、ここに働いているのは、隠喩だけでなく、換喩や提喩、慣例などです。

記号論的象徴
パースの記号三分法によれば、記号(sign)は、図標(icon)、指標(index)、シンボル(symbol)に区分します。これは、意味するもの(記号の表現)と意味されるもの(記号の内容)の類縁性を尺度にしていますが、図表においてはそれがもっとも近く、シンボルにおいては人為的になっていて、中間が指標というわけです。例を挙げれば、ある人を図標的に表したのが肖像画・デッサン、煙で火を表現すれば指標、フェニックスで不死を表せば象徴です。

これで分かることは、シンボルというのが言語記号に他ならないことであり、ソシュールの言う「記号の恣意性」のように、言語記号の非‐有縁性が、シンボルとして分類されているとうことです。
→つまり、シンボルは適当に意味されるものが決められているということ。

③ 言語論的象徴
言語論的には、記号と象徴は対立するものとして扱われます。

記号は、意味するもの(シニフィエ)と意味されるもの(シニフィアン)が恣意的に結びつけれられています。baraという音を聞いて、薔薇の花を連想できるのは日本語を理解できるかどうかに関わり、知らない人は意味されるものをイメージすることはできません。
対して象徴は、自然な繋がり、有縁な関係です。「恋の炎」という言葉は、恋も炎も共に「燃える」ものという意味的な類似性によっているために、多くの人達によって受け入れられます。



これらをまとめると、立場によって定義が違っていることが分かりますね。


象徴をレトリックで説明すれば、隠喩と換喩、擬人法の複合的文彩になります。隠喩がXをYに喩えることであれば(例えば、「マリー・アントワネット」を「ヴェルサイユのバラ」で表現する)、象徴はYがXを暗示すると言えます。


象徴の素晴らしい効果に関しては、下の発言がすべて説明してくれます。
「事物を名指すことは、少しずつ謎を解いていくという幸福から成り立っている詩篇の喜びの4分の3を奪い去ることです。事物を暗示すること、そこから夢が生まれます。この極意を完全に使いこなすとき、はじめて象徴が形づくられます。」(ステファヌ・マラルメ



最後に私の思うことを挙げれば、まず、現在の情報化社会において情報とされるものはあらゆる事柄の記号化に他ならず、その流通の形式がインターネット、携帯電話の普及にともなって変質しているとはいえ、情報の形式そのものが変わったわけではないということです。
してみれば、それが記号に他ならない以上、そこに象徴的な意味合いを読み取れるかどうかは、情報の扱いと深く関わってくるものであり、また、象徴をレトリックとして使えるかどうかも、情報社会で積極的に活動するうえでは不可欠なものと思われます。
ちなみに、私が先に、象徴と幻想を絡めたのは、マラルメが言う「夢」の部分が現実では、えてして狂気や幻想として扱われることを意味します。

図像的な象徴の考察を欠いていますが、基本の構図はほぼ同じなので、また機会があれば視点を変えて考察してみようかと思います。

参考文献:「レトリック辞典」 野内良三 国書刊行会