水兵さん考

julien2003-10-15

例えば、誰かがその子に惹かれているとして、けれど、そこには多くのイマージュが入りこんでいる以上、本当は現実を少しも見れないでいるのかもしれない。
また例えば、玩具売場を探しまわってみて、けれど、着衣のない人形など売ってはいないことに、当り前のように気付いたりする。
(注・私はそんなことしてません)


そういえば、写真家のアラーキーこと荒木経惟は女性の裸の写真にこだわっていますが、彼のそういった写真にエロティシズムはあっても、単純なエロスはありません。
彼が哲学者の鷲田清一と対談していた際に「要するに、ハダカよりも服を着ているほうが感じるってことだろ?」と言っていたのを思い出す。
感じるっていうのは深層意識から来るイマージュに支配された状態で、そういう意味では感じ方自体が、イマージュの象徴性に左右されるでしょうね。(ハダカの場合は、深層意識が単純な欲望に支配されてしまう)


書店に行くと、水兵さんがたくさん載った小型の写真集があります。誰が買っていくのかは知らないけれど、あれは玩具店に並んだお人形のリストです。
してみると、蓋し水兵さんというのは現代において限りなくイコンと呼べるものでしょうね。
あれは象徴に過ぎないし、それを見て反応するのは、イマージュが支配する幻想の世界に足を踏み入れてる証拠でしょうね。


彼女たちにとってはいさしらず、社会においては、あれこそ彼女たちから個性を奪い、世界に溶け込ませるものにすぎません。だから、彼女達があれを脱ぐ時を考えてみれば分かります。実は彼女たち自身がそれを望んでいるんですよ、色々な意味でですが。

だから、大人になって別の服に着替える時に少しだけ自由になれる。そして、それだけは私達や社会も共有できるものなんです。
言っている意味が分かりますか?


ただし、人はあえて幻想に溺れたりします。
また、象徴に神秘性を持たせるのは、古来宗教には欠かせないものですね。多くの人はそのまま象徴に神秘性を見出します。
現代のイコンは、造られた清純さを哀れな人の心へと、神秘的に投影するものなのでしょうか?

なお、あまりに普通、模範的に健全なところですがこんなサイトがあるようなので興味があればどうぞ。