嶽本野ばら / ミシン missin`

マラルメのことを書いたすぐあとに、これに触れるのは気が引けます。

古本屋で安く見つけたので思わず買ってしまいましたが、どうなんでしょうね、これ。私に買われてしまったこの本に飼われてしまっている人達を連想してしまいました。原宿の神宮橋においてよく見られるあの方々を。

この単行本には、"世界の終わりという名の雑貨店"と"ミシン"の二つの短編が収録されています。
キーワードとしては、服のブランドですね。前者はVivienne Westwood、後者にはMilkといったように、ゴシック&ロリ−タなブランドが登場し、どちらも主人公と深く関わる人が着こなしています。まるで、この一般的とは言い難いブランドを着るために存在しているような人物です。まあ、ブランドの理解の仕方は、そんなに間違っているとは思いませんけどね。

それにしても、なんと言えばいいのか、主人公たちが絶対的に好きになれませんよ。
例えば、登場人物たちは共通して世界を否定して、自分達のことを誰からも理解されないものだと考えている。
でもね、私に言わせれば、こういうのはひどく単純ですね。
なぜなら「ボクらは誰からも理解されない」って言ってしまった瞬間に、もうそういう人達だと世間からはカテゴライズされて「理解」されてしまうんですよ。こんなことにも気付かないんでしょうか?
他に気になるのは、「乙女心」や「少女らしさ」って概念で、これらは典型的な男達が作ってきた概念ですね。登場人物たちは、こうした「古き良き」ものを大切に抱えていますが、そこに含まれる権力構造には概ね鈍感です。彼らに主体性がなく、みんな揃って「壊れて行く」のは、こうした結果でしょう。同情しようがないし、共感なんて無理です。何より、致命的なほど美しくない。"世界の終わり〜"の主人公なんて、何を愛だと考えているんでしょうね。二人が一緒にいた時、何をしていました?自分のエゴの押し付けとSEXの相手にしただけでしょうが。これだけ醜く描きながら、彼女が自殺した後になって感傷を語っても、読者には何も残らない。
切ないって言えば切ないのかもしれないけれど、この程度の切なさで泣いてていいんですか?こんなのは笑うことしかできないくらい、僕らの居る場所は変わってしまっているはずなのに。
ミシンには、美心とmissingの二つの意味が込められているけれど、とても半端な小説で完成度が低い。二人の登場人物の距離感を描かなければ、ミッシング・リンクについて触れる意味がないと思うのに、なんでしょうね、この半端さは。

嶽本野ばらという人は、服装といい発言といい、意識してアンドロギュヌス的、両性具有のイメージを出していますが、間違いなく男性ですよ。登場する女性達はとても可哀想です。彼の中にいる女性的な分身なのだと思いますが、こういう少女幻想から早く自由になるべきでしょうね。