ポップス奥の細道 〜三日目

020 Doris Day / "Que Sera, Sera" (1956)


ビング・クロスビーのような戦前のポップスだって、この時代に残ってた。正しくは、こんな人口に膾炙した名曲を生んでます。50代以上の女性でこの曲を知らない人はいないんじゃないですか。私が始めて耳にしたのも日本語バージョンですし。
USにはトラディッショナル・ポップス(伝統的なポップス!)って言葉もあります。それはみんなこういうミュージカルでも歌われそうな美しく分かりやすい歌。こういう流れが数年後のガール・ポップ黄金時代を作るのだろうし、キャロル・キングやバリー・マンといったブリル・ビルの職業作曲家たちが意識したのもそうなんだろうと思う。
それにしても歌詞。リトル・リチャードが絶叫してる時代に、人生なんてなるようになるわ〜♪とも歌える。人って面白い。
だけれど、実はこれヒッチコック映画の主題歌なんですね。やはり時代からは逃げられない?


021 Little Willie John / "Fever" (1956)


ポップスってなんでもありなのが素晴らしい。このリズムはもちろんジャズとR&Bですけど、10年後にそのままスパイ大作戦のテーマ曲に流れていくんでしょう。
信じられないのは、この名曲書いた人って、プレスリーの「冷たくしないで」やジェリー・リー・ルイスの「火の玉ロック」の作者だそうで、もう音楽って何がなんだか分かりません。でも、きっと私や今の想像力が貧困になってるんで、この時代ってジャンルからもっと自由に作曲家はメロディを書いてたんでしょう。そう考えなきゃ説明つかない。
そういえば、これをビヨンセも歌ってます。時代のリンクっていいな。



022 Fats Domino / "Blueberry Hill" (1956)


ファッツ・ドミノって実はロックンロール殿堂入り第1号の一人なんです(他はチャックなど)。でも、この人はもちろんブルーズ、R&Bが本領。そして、この曲の気持ち良すぎるゆったりとしたリズム。ファッツの宇宙大に優しい声。私は昔これってロックなのか、とずっと思っていました。
もちろん、いまはそんな風に思わないし、なにより何がロックなのかなんてどうでもいいことなのですが。
で、この原曲はグレン・ミラー楽団だったりと、実はビッグ・バンド用のスウィングらしい。同じことばかり書いてますが、やっぱりジャンルなんて実にくだらないものだと思う。ミュージシャンってそんな小さな次元の話じゃないんだって。
にしても、この曲だけは2分ちょっとで終わるのが実に寂しい。

あなたは誰?

髪切った。おでこが出るほど前髪短くしたのは久しぶりかも。何故かと言えば暑いから。そして、クセ毛対策に強制をかける金がないからです。安上がり。まあ、涼しくなったらまた強制かけるし、また伸ばしますが。
にしても、嫌な髪型だ。鏡見てると本当にイライラする。服も似合わねーだろうな、こりゃ。
知ってる人は知ってるでしょうが、私の額には幼稚園の時の傷がありまして、頭蓋の一部にプラスチックが入ってます。2cmずれてたら確実に死んでいたそうです。今でも、目の前に信じられないほどの血だまりがあったのを覚えてるし、変だと思って触れた指が額のなかにめりこんだのも覚えてます。
砕けたのだから当然ですが(((;-д- )
その影響としては、アタマと性格が悪くなったのと、サッカーができなくなったことです。医者から、ヘディングしたら死ぬよ、と言われて誰がやるものか。
でもって、頭にはその時の手術で残ったメスの跡が15cmもあるので髪は上げません。一生。

きみになりたい

そういえば、友人の某セチャーソが日記で書いてた写真集をようやく購入した。彼の文章読んでても、これは欲しいなと引っかかるものがあったので。確かに3900円と高すぎる気もしますが、これは確かに買ってよかったよ。ありがとう。
内容は、マガジンハウス刊の雑誌「relux」で連載されていた「きみになりたい」をまとめたもの。
宮崎あおい蒼井優長澤まさみ高橋マリ子香椎由宇加藤ローサ相武紗季麻生久美子上戸彩石原さとみまで、よくもこれだけのメンツが一冊の本に並んでいるものだと驚嘆します。個人的には、彼女たちが立っている場所が、ちょっとカメラマンの傾向に寄りすぎかなとは思うのですが、それでも何気ない表情とその空気が,本当にきみになりたくなる。
というのも、何しろタイトルの時点で、私を殺そうと思ってるでしょ、と思わずにはいられなくなるからなのです。最近でこそ思う機会は減りましたが、ずっと、俺はなんで男なんかに生まれてきたんだと思っていましたから。
そして、今でも紅楼夢の主人公・賈宝玉が言うように「少女は清らかな水から生まれ、男は汚い泥水から生まれる」と本気で思ってますからね、私は。
表象だの、偶像だの、人形だの、作りものだの、本当にばかばかしい。理屈は本当に素晴らしい道具。俺はそれを使えるけれど、使われたくはないんですね。

解禁日未定

私は強い人は好きだけれど、弱い人だって嫌いじゃない。
けれども、嫌いじゃないとはいっても、イライラするっていうのも確かなのです。ただ、たぶんこの言い方は定義を曖昧にして進めるものじゃないですね。
つまり、弱いっていうのは、いい加減という適当な意味ですし、それは目の前に訴えてかけるものがいるにも関わらず、感覚が麻痺しているようなことを言います。
そして、イライラするというのも嫌いというよりは、関わりたくないということを言うのです。
人によって言葉の使い方や伝え方が違うことは踏まえても、小学生でも分かるようなことをできないのなら、人と関わるなと言わせていただきます。せめて、私とは関わらないでいただきたい。
責任感とか、そういう以前の問題です。しらっとナルシスティックに文章書く前に、やることあるのでは。
実際は、果てしなく虚しくなるのです。なんで、あるバカ殿方のためにこっちが悲しくならなきゃならないのかわかりません。理解できなくたっていいのですし、それは私も同じことをしているのだから構いません。とはいえ、それ以前の場所でふんぞり返っているような人を前にすると、悲しいというよりほとんど悔しいのです。
相棒やSさんが言うように、伝わらない相手には関心持たなきゃいいというのが正しいのでしょうか。
悪いけれど、あの人にこちらから話かけることは当分ありません。アンテナにも入れておりませんし。メッセも悪いけれど、禁止メンバーとさせていただきます。おっしゃる通り、あなたは自由なのですから。
それが苦しいものだってことを、私はあなたよりは知っていますわ、坊や。
どこまでもお逃げなさい。そして、這い上がれ。居場所は意識して感じるものではなくて?