悪文

http://www.asahi.com/national/update/1105/TKY200511050272.html
確かに生まれて最初に判例を読んだ時は、何がなんだか分かりませんでした。それから較べるとずいぶん慣れて、意味が分からないといったことはないですが、専門用語が飛び交ったり、何が問題点になっているのかさえ分かりにくいのでは、意味がありません。
というのも、判決文は、大きく「主文」といういちばん重要な結論と、それに至った過程である「理由」から構成されてますが、訴訟法が理由の明記を絶対に必要とした趣旨は、判決までの流れに誤りがあるかどうか、当事者や一般の人に判断してもらうためなのですから。読めないんじゃ、趣旨が果たされません。

で、これを契機に、勉強している人に書かせる論文や、そのためのテキストに関しても、ある程度、問題点を分かりやすい文章で書いた本が出てもいいんじゃないのかと思います。
「論点」と呼ばれる問題点は、全体を理解しつつ、文体や思考法に慣れれば迷うことなく意味が分かりますが、いきなり読んでもなんのことを書いているのやら分からないのが普通です。

たとえば、いまちょうど読んでいた民事訴訟法から抜粋すれば、
「任意的当事者変更の法的性質及び要件・効果について、明文なく問題となる。
しかし、明文を欠く以上は、既存の法規で説明すべきであり、ここに任意的当事者変更とは、新訴提起と旧訴取り下げの複合された訴訟行為とみるべきである。したがって、両制度の要件を満たす必要がある。
もっとも、これを厳密に貫くと、従来の訴訟がまったく利用できないことになり、かかる制度を認める意義が甚だしく失われることになり妥当ではない。
以下略」

まあ、つまり、行間に書いてないことが多すぎるわけです。こういう部分を書いていったり、用語の言い換えをしてかないと、裁判員制度なんて実現不可能ですね。
あと、判例について言えば、一文が長すぎる。延々と10行とか普通です。格式を持たせる、とかいう理由もあったらしいですが、そういう発想は、せっかくの訴訟という救済制度から、人々を遠ざけてるんじゃないかとしか思えない。