ポップス奥の細道 〜九日目

今日はすぐに亡くなった二人のロックンローラーが中心です。どれだけポップス好き、とか言っても、やはりこっちのほうに気持ちがいってしまう。ただ、今後はロックがぐっと減ります。そういう時代になります。だから、エディには想いがいく。今の気分は1958年のキッズと同じだ。

056 Eddie Cochran / "Summertime Blues" (1958)

057 Eddie Cochran / "C'mon Everybody" (1959)


いまだに変わらないですが、キッズがギターを持って俺は無敵だ、さあいけみたいなのはこの人が始まり。何度見てもかっこよすぎる。こんなにギターを持ってるのが様になる人っていうのもちょっといない。この瞬間、ギターは銃以上の武器になり、車以上の宝物になった。そういう意味で、彼こそロックンロ−ル史上最高のスターだと僕なんかは思う。彼の死が、それを伝説化したのも事実だろうけど、あまり考え込む必要はない。「スリー・ステップス・トゥ・ヘヴン」なんて曲を最後に残したことに敏感になる必要もない。
何より、抱えてた感情っていうのをここまで素直に軽快に表現できたっていうのを感じるべき。「サマータイムブルーズ」のこの情けなすぎる歌詞といい、「おい、頼むからなんとかしてよ」って声が聞こえてくる。「なんとかなんねえ・・のか?」って声も聞こえてくる。別に切羽詰ってるわけでもないし、悲壮感もないんだけど、実際の日常ってこんなものだろう。気取らなくたって充分にかっこいい。ルックスのせいもあるでしょうが。
でも突然、ラジオの向こうから「カモン・エヴリバディ」なんて歌が聞こえてきた時の感動を、今の僕なんかにはわからんけれど、凄い衝撃だったんだろうと思う。
もちろん感じ方は自由。無限なのがいい。別にこれをみんなが聞いて同じように思わなくたって構わない。ただ、俺にとってこれは最高。感じ方に限界だってない。教えてもらうものだっていっぱいあるし、自分から吸収できる余地だってある。
何よりガキのままでいることと、ガキのいいところを忘れないことは違う。この人はそういう人だ。
親友と二人でコンビになって曲を書きまくったのにしても、誰かに作ってもらうんじゃなく、リアルに自分の感覚を出せたのだろうし、このスタイルはいつだって変わらない。
言うまでもなく彼は60年の春にイギリスで悲劇的に死ぬ(婚約者とジーン・ヴィンセントは重傷)わけですが、嫌でも刻まれた印象は永遠なんだろう。このツアーを誰が見に行ったか知りませんが、ビートルズらビートバンドの誰かは見ていたに違いない。ブームなんて無関係です。つまらん情報なんざ気にせず、感情抱えて突っ走れ。


058 Ritchie Valens / "Come On Let's Go" (1958)

059 Ritchie Valens / "La Bamba" (1958)


この人の場合、名前よりも曲(特に「ラ・バンバ」。ロス・ロボスのカバーも超ヒット。)のほうが有名です。バディ・ホリーと一緒に事故で亡くなってしまったことや、まだ18歳(本によると17歳)だったこともあって、存在感が軽くなってしまったのでしょうか。当時は違ったそうですが。
史上初のヒスパニックのロックンローラーで、ラテンのリズムを持ち込んだってことだけでも凄いのです。やはりジャンルなんてものがなくて自由、理屈なしに楽しい。
超名曲「ラ・バンバ」はもとはメキシコの民謡で、この人が感覚でロックンロールにした。凄いセンス。これに反応したキッズたちも偉い。
まあ、曲云々より、僕はこの人の陽気なリズムに合わせる繊細な声が好きです。バラードではそれが全開でくる。この時代の誰よりも優しい笑顔を持った人です。どの写真を見ても笑ってます。時代を超えていつまでも。
うーん、いま株式だ、取締役の責任だと、そんなことを勉強している時だから余計に感じる。楽しむことを忘れない、いつだって笑うことを忘れない。突然の不幸なんて考えない。だけど、やることはきっちりやる。責任は背負う、そして果たす。逃げ出さない。それしかない。「カモン、レッツゴー!」そう口に出すだけで、もう気分が変わってくる。忘れんな、俺よ。「カモン、レッツゴー!!」