最大公約数

どこかでポップスには思想がないとか言ってる人がいましたが、洋楽好きがいかにも言いそうなそういうことを踏まえて、わざとこういう企画をやってるわけで。というか、あまりに普通で、言ってることがちいとも面白くない。それこそ、思想がない。
いや、表面的に言いたいことは分かりますよ。でも、そんなことを言っててもつまらないだけで、批判の先の意味が何も見えない。そういうのを思想とは言わないのれす。
それなら、くだらんと言われてるものをもっと深く考えたほうが面白い。
そもそも「人はなぜ死ぬのか」なんて、ひどく下らないことだと思われてたわけですよ。なぜって、考えたって人は死ぬからね。だけど、それを推し進めたのが思想であり、宗教ですよ。世間的に「思想」っていうのは、こういうもののことを言うはずです。

個人的なことを言えば、自分にも昔そういう傾向がものすごく強かったからなんですね。思想云々とかぼやく傾向が。ただ、そういう壁は取り払いたい。大袈裟に言えば、ダメな自分への鍛錬みたいなものです。最初は聞いてても微妙でしたからね。
とにかく、俺はスノッブかつコンサバティブな人間なので、上のようなことを言ってたのですが、それって単なるエリート意識だと気付いた。洋楽が昔のように売れなくて、一般から嫌われる理由の一つでしょう。特にロック原理主義者にそういうのが多い感じします。過去を賞賛するだけとか、いちいち「これはロックではない」とか。俺自身、高校の時にそうで、行動と相まって周囲から浮きまくりましたから。
書いてる時代のポップスは、日本でも必ずといっていいくらいにカバーされてます。これは、思想云々とかそういうつまらない理屈の話じゃなくて、感覚のことを言ってるわけで。
ある曲が個々の人間のすべてに当てはまることを歌えるわけないんであって、ポップスだって例外じゃない。ただ、最大公約数的に共有できる感情を歌うってことは凄いことだと思う。完全に国境越えてます。そういう意味じゃ、グローバルだとかなんとか言ってる今のほうが、よっぽど閉鎖的だとは言える。あちこちが狭いコロニー化してる。そう、コロニーです。与えられるものから好きなものだけ食べてよしとする。悪いとは言わないが、とても共感できないし、一緒に何かをやってく気にもなれない。
たとえば、アキバ系シブヤ系が一緒にいるとこなんて想像もつかない。というか、共有してるものさえないと思う。
俺は別に、個性化が悪いとは思わない。でも、コミュニケ−ションの基本をいい加減に考えるってことはどだい僕には無理なんですね。
何も共有しなくてもいいや、とかいいながら、本当は誰だって実際は一人じゃいられないわけで。それで、愛だとなんだと言ったって、壊れやすさに敏感じゃないから、大事なモノを壊してくんだ。僕は隣の人しか愛せない人なんて、信じられない。
まあ、政治からいったってそうです。共有されるものがない民主主義などありえない。エゴだらけでもいいけど、先の地平にはたくさんの人がいるってことを忘れんのは嫌だな。。
まあ、全てぼやきなので気になさらずに。