The Tears / Here Come The Tears (2005)


AKシリーズ第2段。
スウェードのブレット・アンダーソンとバーナード・バトラーが奇跡の邂逅、というわけですが、にも関わらず騒がれ方が地味というかマニアなのは、これを喜ぶ人がリスナーの主要な世代じゃないからでしょう。
で、この音を初期スウェードそのままなんて言う人がいて、どういう耳してんじゃ、と言いたくなるわけです。だって、バーナードが脱退したのは94年で10年以上前だし、その間も二人は着実に音楽活動してたんですから、いきなり元に戻るわけないし、戻れるわけもない。
脱退後のバーナードは、ソロでこそシンガーソングライター然としてますが、大半はストリングスやオーケストラを駆使した壮大なプロデュース作品ばかりだし、実はスウェードもどんどん初期の退廃的で隠微な世界は捨ててました。
これを聴くと、そういう時代を経た二人が一緒に音楽を作ってるのが明白です。しかも、バーナード歌ってるし、例の「歌わないシンガー」(歌ってるようなギターを弾くんで、そう揶揄された)バーナードでもない。
後期スウェードはダメだった、なんて人もいますが、それは初期を神格化しすぎで、そりゃああいう音は無いけど、それはブレットがそうしたくなかったからで、バーナード脱退後に加入したリチャード・オークスは、バーナードのほとんどマニアなほどのファンで、彼のパートを完全に弾けるからって理由で17歳にして入ったんですよ。だから、やろうと思えば、ああいう「音」は作れたのです。ちなみに、リチャードは最後までバーナードの象徴の赤いギターを持っていたりしましたが、この辺が彼の不幸な点で、憧れの人を超える気もなければ、別の存在になろうともしないんですね。でも、彼はバーナードではない。ブレットに刺激を与えるミュージシャンにはなれない、と。
この作品が好きな人は、スウェードのラスト・アルバムを聴くといいです。あれの延長です、これは。でもって、私はあの作品が好きだった。ここまで素晴らしく年を取れた人の、超然とした高貴な佇まいと色気が本当にセクシーで良かった。裏原全盛期だったから、余計にクールだった。
この作品にあるのは、今の二人であって、初期のとは違います。ここには退廃もインモラルな世界もない。クリアに透き通った美しい涙がきらきらしているだけ。ただ、それでも2曲目のイントロを聞いた瞬間は、これを待っていたんだ、と思わざるをえない。これぞバーナードのギター。これを聴けただけでも、私は生きてて良かったと思ってしまった。
本当に音楽を楽しむ二人の姿が浮かんでくるようで聞いてても嬉しい。凄まじい喧嘩別れした二人とは思えない。当時の記事を読むと、「次は8歳だ」発言とか、ブレットの行動に問題ありすぎですが。昔は昔、ということで。