Air / The Virgin Suicides (2000)

julien2005-06-01



Styles : OST , Electronica , Ambient Pop , Folktronica , Chill Out
夜の歌から昼の倦怠へ。。
甘美で切ない情念を音にするならエールに敵うものなし、っていうくらいに、狂気すれすれの甘い毒。ソフィア・コッポラが監督した同名映画に、これほどふさわしい音もありませんでした。
私はソフィアに対して、どうにもならないくらいに親近感を覚えるので(彼女には迷惑かもしれませんが)、映画も凄く分かる気がするんですね(勘違いかも)。
私があの映画からいちばん強烈に感じるのは、夢見がちな子が共感しそうな、少女たちの倦怠と自殺なんていうテーマじゃなく、あの悲惨でえぐ過ぎる死に方です。
映画に登場して、彼女たちのことを思い出しながら語る薄ら鈍い男どもは、いかに彼らには何も分かっていないかを語らせるためなのでしょうが、あの映画自体も単純にある感覚を語っているようでいながら、実は「何も私には分かりません」ということをソフィア自身告白してしまっているようなものだと思うんです。何も分からないけれど、ああ描かなければ、何かが終わらない、というか。かといって、ジャームッシュのように詩人にもなりきれない。
儚い美しさを想っても、それと一緒にいるわけにもいかない感覚。昇華することもできず、相反したまま、二つの感覚が殺しあう。
だから、思春期に倦怠感を抱えて、リアルなものにあまりに幻滅した経験がある人なら、あの感覚はそれなりに分かるものだとしても、それを肯定したくはない。ナルシストにはなりきれない悲しさ。
だから、そんな感覚を描こうとすれば、登場する人物は死ぬしかないし、生き残る連中は自分も含めてただのボンクラでしかありえない。死ぬのも徹底して惨くなければならないから、死ぬことに夢を見させるわけにいかない。引き篭もって手首に線を入れる少女たちは、オーブンに頭を突っ込んだり(これは明らかにシルヴィア・プラスをイメージしてると思う)、柵に向かって飛び降りたりしないでしょう。
だから、私はあの映画を見た時に、何かを葬り去れたような感覚と同じく、余計に悲しくなってしまいました。あとは、生き残ったマヌケどもと離れて、現実のなかで「惨くない」生を続けるしかないんだ、と。
ソフィアが、あの映画の次に撮ったのは、異世界(トーキョー)を舞台にした、孤独で奇妙で、でも、おかしい二人の人間の恋でしたが、私にはそれも、この映画を見てから浮かび始めた世界と、どこか重なって見えるんです。
ただ、そこには死んだ少女たちの亡霊がまださまよっているようにも感じる。さりげなくいなくなったのではないから、逆に記憶にひっかかってしまって、まだ死に切れないみたいだ。それは、私の姿でもあって。。
いまでも、このサントラを聴くと、自分のなかの不気味なものが死に切れずにもがいているように感じる。それでいながら、甘い夢のなかで倦怠に耽るんです。私には自殺なんか、できなかったから。これには、少女に生まれたかった、っていう昔からの感覚が影響してるのかもしれない。そう生まれて、死ぬべきだったとか意味なく感じたりしながら、男の私は彼女の代わりに生き続けてると、今でも時々感じる。
死を夢見ることを美しいことのように感じながら、生き残った自分を嘲り笑いながら、そんな地平で徹底的に存在している。。残酷で倦怠な真昼のサウンドトラック。