"失われた感覚を求めて" Vol.11 〜My Generation〜

julien2004-10-12

これまでずっとアメリカを見てきたわけだが、では当時のUKはどうなっていたか。
ビートルズの影響が大きかったことでは同じ。しかし、アメリカと異なっているのは独自な音楽がそこまで無かったことにあって、まずビートルズそのままの音楽、よくマージー・ビートと呼ばれるものが流行る。しかし、単純にそうとは呼べない程度に多様性はあるわけで、特にブラック・ミュージックへの憧れが強い連中による「黒いビート」はけしてビートルズと同視できない。


彼らの最大の影響力を言えば、ファッション性を抜きにしては何も語れない。
「モッズ」と総称されるようになる彼らは、ロックンロールにおいてR&Bを取り込んだ最初の世代であったし、こうした展開はアメリカ勢とは確実に異なっている。彼らにとっては、自分でいなければならないことはそれほど問題ではなかった。
彼らは、周囲と切り離した自分と求めるのではなく、ファッションを用いることで「自分を作りあげる」。
彼らのブラック寄りの音も、時代の必然というよりは憧れの為せるものだった。
最高にクールで格好良いものが、彼らにとってのR&Bであった。
この感覚は、パンク期に「モッド・リヴァイバル」として復活するように、あるスタイルであり生き方である。
こうした音的なものを離れた美意識が生まれるのは、表現の時代である70年代をすでに予感させている。
しかし、この感覚こそが、音楽を生活に浸透させていくもう一つの必然性でもあるのだ。
これは今でも確実に残る感覚である。だから、視覚的なスタイルの違いなど問題ではない。
音楽と生活が一体化するこの感覚こそが、この時代に生まれたものなのである。
ポップの概念が変わる様が目に浮かぶようだ。


ところで、R&Bからの影響で言っても、初期のスーツを着込んだ姿を見ても、ビートルズも同類であった。
しかし、ポップであることを引きうけたビートルズに比べて、彼らの音が圧倒的にクールなのは、訴えかける対象を若者に限ったからでもある。
言葉にならない感情を"Sha-la-la-la-lee"と歌うスティーヴ・マリオットに世代を超えた主張なんて求めようもないし、"俺たちの時代だ"と歌うフーはまさにその象徴でもある。
そうした人々のなかにデヴィッド・ボウイもいたことが、UKの70年代を確実に切り開くものとなった。
そうしたロンドンの爛熟と加熱は、60年代後半に「Swinging London」として一斉に花開くことになる。