"失われた感覚を求めて" Vol.6 〜God Only Knows〜

julien2004-09-27

映画『アマデウス』のなかで、モーツァルトの天才性に気付いた男は一人だけだった。
彼、サリエリは、モーツァルトの才能に気付いているのが自分だけであることを自覚し、自分が彼の足元にも及ばないことにも自覚的だった。
彼は最後に「私は世界中の凡才たちの神だ」と叫ぶ。


それから200年後。ビートルズによる侵攻が激しかった頃、アメリカで彼らに対してサリエリのようにライバル心を燃やした男がいる。
しかし、彼はだんじてサリエリではない。そして、そのことにも自覚的だった。ブライアン・ウィルソンは天才だった。
この強力なライバル率いるビーチ・ボーイズには、さしものビートルズも意識せざるを得なかった。

このことにはアメリカの人々も気付いた。彼らはブライアンを以ってビートルズに対抗しようとしたのだ。こうしてブライアン・ウィルソンはたった一人でビートルズに立ち向かうことになる。


そして1966年、驚異的な名作が誕生する。その名も『ペット・サウンズ』。
偏執的なスタジオ・ワークで生み出されたこの作品は、どこまでも美しくリリカルなメロディ、自己の弱さをも吐露する内省的な言葉に、天上に届かんばかりのパーフェクトなハーモニーで世界中を感嘆させる。
"God Only Knows"を聞いたポール・マッカートニーは「人生で聞いた最も美しい曲だ」と脱帽する。


そもそもビーチ・ボーイズは、西海岸のサーフィン・ミュージックを出発点にしている。
この音楽の起源は、ディック・デイルという革命的なギタリストによって、サーフィンの感覚をギターで表現することから始まった。
(ちなみに、ディック・デイルの曲は皆さん知ってると思いますよ。映画『パルプ・フィクション』で有名になった"Miserlow"は彼の曲。)
起源はヴェンチャーズにも共通するロック・インストゥルメンタルなんです。50、60年代ポップスの一ジャンル。
さらに、ブライアンはフィル・スペクターに心酔していた。彼はきっとロネッツの"Be My Baby"を超えるようなポップスを生み出したかったのだと思う。


何が言いたいかと言えば、彼がLSDマリファナに呑まれてパラノイアになってしまうことを、他の人たちと同じように考えてはいけないということなのだ。
彼は一人で夢を見ていた。しかし、それは「知覚の扉」の向こう側の、新しい感覚などではだんじて無い。
彼はひたすら失われてゆくかつての美しい時代を夢見た。
ジム・モリスンが孤独な世界へと突き抜けてゆくのとは対称的に、彼は古き良きポップスの夢を見た。フィル・スペクターが見れなくなったロックンロールの夢を彼は継承しようとしていた。
それは、彼の音楽を聞けばすぐに分かることだ。どれだけビーチ・ボーイズの曲がロックンロ−ルのなかでは異質であるか。
ポップスを聴いたことが無い人には絶対に分からないだろう。ビートルズからロックンロールが始まったと思っている人には分からない。
ブライアンが愛した音楽は、ビートルズの前にもあったのだ。
しかし、彼が不幸だったのはビートルズの音楽を愛してしまったことにある。

彼は引き裂かれた。この新しい音と、自分の夢に挟まれて。
そんな精神状態のなかで、彼は『ペット・サウンズ』を超える作品『スマイル』を作ることに没頭する。ドラッグを過剰摂取し、トリップを繰り返して、彼は夢を現実化させようとする。


67年5月『スマイル』は、公式に製作中止が発表される。彼はパラノイアになって、一人で夢の世界へと行ってしまった。

しかし、もしかしたら彼は幸せだったのかもしれない。
もし彼が意識を保っていたら、その後の時代の変化のなかで死んでしまったかもしれないから。
彼が目を覚ますのは76年。東海岸で、時代はすでに動き始めていた。ロックンロ−ルは、新しい「若者」たちによって再び生み出されつつあった。
しかし、あの感覚はもはやどこにも無かった。