"失われた感覚を求めて" Vol.7 〜Piece of My Heart〜

julien2004-09-28

ロックンロールはとても単純な音楽である。楽器と歌声と言葉があれば、それでもう音楽である。
ジム・モリスンが言葉の限界へと向かったのなら、ジャニス・ジョプリンは歌の限界へ、ジミ・ヘンドリクスは楽器(ギター)の限界へと向かう。


ジャニスの歌声には、R&Bとカントリーの融合からロックが生まれた、などという生易しい言葉は通用しない。
彼女の歌は、ブルースもソウルもカントリーもフォークも全てが混在し、有機的に溶け合い、完璧に調和している。
ちなみに、彼女は最初からロックンローラーだったわけではない。彼女はただのシンガーだった。そんな彼女にロックが注目したのだ。
彼女が歌っている傍らにロックが寄ってきた。
彼女がロックを必要としたのではなく、ロックが彼女を必要としたのだった。


しかし、彼女は孤独だった。彼女の行動も考えも、周囲からは理解されなかった。
それは、先鋭化していくロックンロールの姿でもあった。
彼女は酒と麻薬に溺れていく。
70年死去。

それにしても、ここまで歌うことだけで成り立つ音楽が他に存在するだろうか?
ロックンロールは、ここで一つの限界を手にしてしまった。必然性は、ここまで辿り着いてしまう。
しかし、必然はその必然ゆえの意味を失った時に、必然ではなくなる。
だから、彼女を超える女性ボーカルは二度と生まれないだろう。
時代のなかで「理由もなく」個人であろうとすることは、もはや求められていないのかもしれないから。



ジミ・ヘンドリクスは、ギターを弾いていない。彼がギターを弾くのではなく、彼とギターは一体化している。
彼のギターは体内音響である。この「一人」の楽器は、体内にジャニスのように多様な音楽を混在させ、それを放出する。
「演奏する」などという言葉を超えて鳴り響く。
しかし、彼の個我も麻薬の前で崩壊していく。
必然は調和を求めない。
調和は、バランス感覚によってしか生まれないものなのだ。
ウッドストックでギターを燃やす彼は、自分をも燃やしていた。
ジャニス同様に70年死去。睡眠薬の過剰摂取が原因だった。


私は思うのだが、彼らの音楽はけして「表現」ではない。彼らには何かを表現しようという理由が存在しない。これらはみな必然なのである。
ここで言う必然とは、理由もなく個人であらねばならないことである。
彼らは少しも無理をしていない。無理矢理に頑張ってるわけでもない。ただ、必死なのだ。
必死でいるしかなく、そこに選択肢はない。
だから、表現したいゆえに生まれたのではなく、必然的にこうなったとしか言いようが無いのだ。

このため、ロックンロールは早くも限界へと辿り着いてしまったのだ。

きっと「ロックの意味」が求められるのは、この頃からだったに違いない。
個人であろうとすることに、ロックンロールは犠牲を払いすぎた。
だから、個人を超えた場所に「ロック」が探求され始める。
そこではメッセージさえも、表現になりはじめる。こうして、ロックンロールは「ロック」として、表現であることを目指し始めた。