"失われた感覚を求めて" Vol.5 〜Break On Through〜

julien2004-09-25

サンフランシスコから始まったサイケデリックの波は確実に知覚の扉を開きつつあった。
その名を冠したバンドが登場するのも65年。場所はロサンゼルスのUCLA。
IQ149、自身の才能と感性をもてあました一人の美青年が、友人に自作の詩を見せたことからすべては始まる。
彼が時代を求めたのか、それとも時代が彼を必要としたのか。
ジム・モリスンは幻覚のなかで自身の内面を掘り下げる。ディランとは別の視点から生まれる言葉。ドアーズは燦然と登場した。

縦横無尽に鳴るオルガン、そこに乗る彼の声はとてつもなくセクシーだ。
しかし、彼はとてつもなく孤独だった。ステージで性器を出し、自慰するなどのスキャンダラスな行動は、彼の整然とした知性を裏切る。
彼は知性を道具とさえ看做さなかった。彼のなかでは知性も感性も溶け合う。彼は、深く言葉を求め、存在する音をさえ変えていく。
Break On Through To The Oher Side
「向こう側へ突き抜けろ」
自身の内面を付きぬける。知覚の扉を開け放って。

しかし、彼の目には向こう側にヒッピーたちの楽園が見えていたのだろうか?

突き抜けようとした彼の声は痛々しく、描いた世界は混沌とし、そしてそんな彼の姿はとてつもなく美しい。
彼は連帯など信じず、突き抜けて世界で一人になった。
徹底的に一人だった彼は時代に殉じる。彼は夢を見ていなかった。彼は見るべき夢も知らなかった。
彼にとっては突き抜けた先に何かがあるのが重要なのではなく、突き抜けようとすることが全てなのだ。



この感覚は彼によって普遍なものにされた。彼は最高にセクシーでスターだった。
そんな彼はポップ・スターの定義を変えてしまう。
共感こそが支配する世界で、内心に深く沈みながら、スターでいることはそもそもが矛盾する。
「ファンは誰も僕の詩を理解してくれない」と嘆く彼の姿は、25年後のシアトルの青年そっくりである。
こうしてスターは矛盾した存在となる。結局、資本による「救済」まで、ポップ・スターは死に続けることになる。


しかし、なぜ彼の詩が理解されないのか?
それはディランのように社会のこと、必然的に共有するものをテーマにしないからである。
彼の歌は美しく研ぎ澄まされ、個の内面を精神世界に至ってまで掘り下げる。
このような世界は一部のファンから絶賛され、後にいたる絶大な影響を持つとしても、大半のファンには理解されない。
ファンには彼の存在がポップなのだ。しかし、彼はアートを目指した。皮肉にも、彼はウォーホルのポップ・アートを知りつつも、それを使うすべを持たなかった。
しかし、ロックは確実に「表現」であろうとした。幻想が終わった後のロックは、表現たることで「発展」を図る。
プログレッシブ・ロックグラム・ロックは、まだ生まれていなかった。


突き抜けた先で彼は一人だった。サイケデリックは内面を開かせるが、それに対峙するのは一人一人だ。アシッド・テストの連帯感は、薬によるものではない。幻想が崩れた時、絶対的になった自己は突き抜けることを拒む。
付きぬけても、付きぬけても、その果てはなく、どこまでも深く続く。その先は肉体の崩壊だった。
71年パリにてオーヴァードーズで死去。その姿こそが、この時代のリアルだった。彼は死ぬまで、そして死んでまでも幻想の終わりを告げた。