"失われた感覚を求めて" Vol.3 〜Like A Rolling Stone〜

julien2004-09-22

ビートルズによってポップの音が一気に変化していくのが64年以降の歴史だと言っても過言ではない。


まず、当時のアメリカはヴェトナム戦争の泥沼化か公民権運動の盛り上がりなどで、若者を中心に大きな渦が起きていた。
そもそもアメリカには30年代から40年代にかけてウディ・ガスリーが特に広めたフォークという音楽があったが、ポップ・チャートとは無関係なものだった。しかし、この渦の中で大衆性を獲得する。そもそもが社会運動をテーマにしたものだけあって、ピート・シーガーボブ・ディランジョーン・バエズらをわざわざポリティカル・フォークと呼ぶのは不適切な感もするが、それでもフォークのあるべき姿であったことだけは確かだった。フォークは、メロディやサウンドよりも、そのメッセージで社会や権力を激しく攻撃した。
ここで重要なのが、フォークに音楽としての側面は無視できないが、リスナーがそこから感じ取ったのは、やはりメッセージだったことだ。
フォークは、ハーモニカとアコギにメッセージを乗せる。それは「風に吹かれ」るようにメッセージを人々に伝えようとするものだった。


ここに事件が起こったのは65年。
ブリティッシュ・インヴェイジョンの嵐が収まることもなく勢いを増していた頃だ。
まず、ディランの"ミスター・タンブリンマン"をビートルズからの影響を元にバーズがカバー。彼らはそもそもフォークを歌っていたが、彼らはそのメッセージをビートに乗せた。全米1位。これは、もはや時代の必然だった。
そして同年のニューポート・フォーク・フェスティバルで、ディランはエレキ・ギターを手にし、大ブーイングと歓声が入り混じるなか”ライク・ア・ローリング・ストーン”を歌う。「ボリュームを上げろ!」「下げろ!」の怒号が飛び交い、舞台裏ではピート・シーガーが斧でコードを切ろうとさえしている。そんな、彼にある男は言った「よせ、未来を止めることはできないんだ」
それしてもライク・ア・ローリング・ストーン。これはもう、ため息が出るほど完璧だった。正真正銘の天才的言語能力を持つこの男が、「ロック」と「ストーン」、「ロール」と「ローリング」の関係に無意識だったはずがない。
これがフォーク・ロックの誕生だとか下らないことを言うのは止めよう。これは、紛れもなく新たなるロックンロ−ルの誕生だったのだ。
ここに、ロックンロ−ルは強烈なメッセージを獲得した。
「転がり落ちることは、どんな気分だ?」
ディランは徹底的に自覚的だった。マリファナと言語の間で徹底的にブルーで、かつ戦闘的だった。
ロックンロ−ルがカウンターカルチャーになった瞬間だった。


実は64年に、ビートルズとディランは出会っている。
ディランがなぜいまだに神のように言われているか?
それは彼がフォーク・ロックの伝道者であり、天才詩人であり、真のロックンローラーであることだけではない。
彼はビートルズに変容のヒントを与えている。
当時「キリストよりも有名」だったビートルズにとって、この出会いが革命を推し進め、リスナーたちは聞いたことがない音楽の世界に出会うことになる。

それは、言葉とマリファナが切り開いた世界だった。
ディランが吼えた65年に、レノンは"Help!"と自分の感情を歌にした。それは、誰にでも分かるポップな愛でもなく、共有すべき政治への意見でもない。
極めて個人的なものだった。レノンは世界中に向けて「助けてくれ」と口にした。個人的な苦しみを、最強のポップソングにした。
ここから後期ビートルズが始まった。


しかし、私は思う。これがロックンロ−ルの黄金時代を作る出発点だったことと共に、ある感覚の喪失の始まりでもあったと。
「転がり落ちるのはどんな気分だ?」
すでに答えは出ていたのだ。
しかし、それを書くのはずっと先になるだろう。けれど、65年をピークにしたこの感覚がよみがえるのに、70年代の終わりまで待たねばならないことは、もう書いてしまっても良いのではないかと思う。
黄金時代のなかで、実は岩は転がり落ちていたのだ。ディランは徹底的に自覚的だった。