わがみよにふる ながめせしまに

julien2004-09-24

私は、どこか自分を客体として眺めている人が好きだったりする。
「私は〜って思う」だけじゃなくて、「〜って思う私は〜だ」みたいな。
自分にそういう傾向があるからなのか。


自分以外のそういう人は、たいてい自分の欲望や傾向に敏感で、素直だ。性格的には素直じゃないんだろうけど、曲がってるとかそんなんじゃない。
勿論、欠点がないわけじゃない。そういう人は自然に妄想的になる。起こってもいないことに対して、いろいろ思いを巡らすのだ。
「〜って考える私は〜だ」になる。

そういう人の書く文章は面白いけど、でも、やはり寂しく感じる。
心から楽しい、って感じてるようには受け取れないから。
そういう時は、たぶん何も考えていない時だけで、そんな風になれる時って一つしかないじゃない?
どうしょもないくらいに感覚が理性を支配するあの瞬間。
終わってみれば気持ち悪いのに。


でも、そういう感覚は機能しない。機能するんじゃなくて、それは停止した状態だから。

だから、本当に不思議になるのは、そういう人が誰かを求めている時。
得ているんじゃなくて、求めている時。
そんな時は、「欲しい」という感情がどれくらい不明瞭なのかを思い知る感じだ。
普段から言葉で自己を客観視する人たちだからなのか、かえって全然分からない。
きっと自分でも分かってないからなんだよね。
無理に言葉を貰っても、私は余計に混乱する。

それは当事者じゃなくたって同じことだ。
どこへ行くんだろう。


やはり寂しい。
あれって、小町の「ながめ」のようなものなのかしら。

・・・・

ああ、やっぱり忘れられないだけなのかもな。
一人きりで泣いたりしないでよ。秋の長雨は涙に似てるから。
どれだけ眺めたって、面影は消えたりしない。

・・・・

本歌
花の色は 移りにけりな いたずらに 我がみよにふる ながめせしまに (小野小町


秋雨に移りにける花をおもひて詠める
ながむるも 思ひならざる 花の色 うつりにけりて たれ待つらむか