引き続き

julien2004-05-12


  • 私たち音楽関係者は、著作権法改定による輸入CD規制に反対します

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賛同者がどんどん増えてますね。ついに教授の名前も入りました。鈴木慶一さんもいます。
メディア関係が特に凄くて、有名な雑誌のほとんどが賛同しているのが分かります。ジャンルの違いとか超えて、みんなが一つの目標に向かって協力しているなんて久しぶりに見ました。
id:quawabeさんのところで教えていただいたのですが、小野島大さんがご自分の日記で次のようにおっしゃられています。

それにしてもここに載っている署名者リストをみても、その数には驚かされる。わずか一週間ほどの間に、これだけの数のジャーナリスト/音楽業界人が団結したのは、おそらく過去にほとんど例がないと思う。こうした形での「団結」にシニカルな人もいるだろうし、立ち上がるのが遅すぎるという声もあるが、ジャンルも趣味も立場も思想も感性も年齢もちがう人たちが、法案をなんとか食い止めようという意志で一致し、短時間の間に集まった。その意味は小さくない。もちろんこれに満足するのではなく、これは始まりなのだ。

私は、こういう時にアーレントの「過去と未来の間の裂け目」を思い出す。そこでアーレントは、かつての革命の時代において、また、レジスタンスでドイツに勝利したフランスにおいても見られた「宝」、それは彼らが「公的幸福」や「公的自由」という言葉で表現したものなんですが、ある精神がそこには見られるというのです。しかし、これは失われやすい。

この宝が失われたのは歴史状況や現実の逆境のせいではなく、その現れやリアリティを予見させる伝統が存在せず、それを未来に受け継がせる遺言が何一つなかったからである。
アーレント『過去と未来の間』

いま起きていることは、とても凄く、また面白いことなのかもしれない。何かまったく新しいことが起きようとしているのかもしれない。それは、こうした過去から繰り返し起きてきた記憶のよみがえりだけではなく、技術的な革命を、新しいコミュニケーションの形までをも含んだ、まったく新しい地平を目指しているのかもしれない。
アーレントが失われた宝に「名前」がなかったことを示して「遺言がなかった」と言うが、私は何かを思いだそうとしている。それは、けして自分が経験したことのなかったようなものだし、名前を知らないが、確かに「リアリティを予見して、受け継いでいる」ように感じる。
私たちはそこで挫折を味わうことになるかもしれないが、それがそこで終わるかどうかはまた別の問題だ。
だから、この逆境をかえって頼もしく思っています。目的の獲得と同時に「失われてしまう宝」だとしても。


あと、もう一つの問題としては、これも小野島さんが仰っていることなんですが、これに賛同していないからといって、すなわち法案に賛成だ、などということではないんです。ミュージシャンの顔触れを見ると、結構インディー精神で活動しているような人が多い反面、メジャーにいるような人はあまりいません。かといって、彼らが金の亡者だということにはならないし、そういう目で見てはいけないと思う。アーティストとしては権利を侵害されている側でもあるので、簡単には判断ができないんでしょう。とりあえず出来るだけのことをしながらも、事態を見守りたいと思います。