今日は寒い日でした。

昨日書いたことは、ちょっと冷たすぎたかな、と思いました。今日の多事争論筑紫哲也が、家族に対しての嫌がらせや誹謗中傷が多発しているということを話していたからなんですが。
けれど、やはり「意見」と、「誹謗中傷・罵詈雑言」は区別したい。思想の自由が保障されている以上、人が何を思い考えるかは自由だ。けれど、それをなぜ当事者、それも心に傷や悲しみを抱えてる人に言うのかね。
相手の権利を尊重できない人間には、何も言う資格はありません。こんなことは当たり前のことだけど、それが分からん人間があまりに多すぎるから書いてるんですが、中学生のナイフ所有が問題になっていた頃に、「持ち物検査をするのは人権の侵害だ」だとかほざいた中学生がいて、それに対して教師が何も言い返せなかったことを思い出しました。言わせてもらいますが、阿呆ですね。ナイフを持つこと自体が、他人の人権への侵害にあたる以上、彼には権利を主張する資格が無くなっているっていうことも指摘できないのか、と。そういう教師が情けない。
思いやりの欠けた権利の主張なんてものはないんだよ、と。権利と言うものは、人を守るためにあります。誰でも幸福になることを、かなえるためにあるのです。

あー、なんか物凄く悲しくなってきます。
個人主義の悪い面だと思う。その人に対してどんなに不満があっても、悲しんでる人には冷たいことなんて言いたくないよ、俺は。
悲しみが去ってから、事件が終わってから言え。