続き

にしても、なんでこんなに分析ばかりが広まっているんでしょうね。
例えば、文学を語るのにも分析ばかりが目につきます。ここまで分析だらけだと、意味を求めるのがそんなにダメなのかと、反時代的に考えたくなってくるよ。
そりゃ、完全な客観的意味なんてありえないけれど、分析ばかりに行くというのも、結局は、客観的なものを求めているからであって、意味は無理だから構造を、ってことでしょう。
システム論や精神分析による分析が、有効なのは分かります。でも、「有効=正しい」わけでも、全然ないと思う。有効性ばかりで窒息しそうになるのは気のせいだろうか。