基礎教養

本棚を整理してたら、浅田彰柄谷行人が編纂した『必読書150』(太田出版)が出てきたので、久しぶりに目を通しました。
入門書のブックガイドを作ろうとして、結果的に「これ誰が読むんだ?」レベルの古典で埋められたってやつでしたね。
一般の人はともかく、大学で人文系を学ぶ人間には、確かに必読なのかも、これらは。花田清輝の『復興期の精神』は、これのおかげで再発されたような気もします。おかげでレトリックを駆使したあまり見かけないタイプの素晴らしいものに出会えたわけですし。

見ていく内に、ベイトソンベンヤミンも含まれていたのかと再発見。
まあ、編集の傾向はありますよね。そういった意味で、浅田さんや柄谷さんのベースが何かを知るのにも、参考になります。
それは、80年代以降の日本のインテリの知的関心がどこにあったかということなのですが、それほど時代の影響を受けないレベルの書物ばかりだとも思います。
彼らが言うように、「これを読まないものはサルである」と。一部、訂正すれば、「批判や意見、個人の感情レベルでないものを語りたい人間ならば、読まなきゃサル」でしょう。というか、知的レベルでサルでしかいられないでしょうね。


考えてみれば、キリスト教に関して昨日書いたことと、繋がる部分はあるかもしれない。
デリダウィトゲンシュタインより先に読まなきゃ話にならない(というより、それらを読めない)ものはあるんだよ、ってことで。