神秘思想に関するメモ

昨日の続きです。
西田幾太郎の著作には、マイスター・エックハルトニコラウス・クザーヌスが出てくるようで、旧制高校の人は勉強してたんだ、という書き込みを某所で見かけましたが、どちらもキリスト教というよりは、神秘思想家ですね。


神秘主義はたいへんに難しい。それらが危険思想とされてきたことは歴史の偏屈さのためですけど、例えばクザーヌスの「学識ある無知」などは(以前に逆説として日記のタイトルにしました)、神秘思想の本質を捉えていると思います。
まあ、ソクラテスの「無知の知」の反語なのでは・・・という感じもしますが。


「反対物の一致」という概念も、神は全能であるがゆえに、矛盾したものを同時に可能とすることができる、つまり、神の内にあっては「反対物(矛盾したもの)」が一致する、というもの。
これは、論理的に考えすぎなことを批判する一面、ただ、それ自体が論理主義なようにも感じますね。
ラッセルの言う「論理階系」の誤用なのではないかな、と。