中世の秋

学会で阿呆にいじ(め)られて気の毒だったリーゼンフーバー先生の『中世思想史』を読んでます。
哲学やってる人が東洋思想に弱いっていうのは有名なことで、その点、私は中国系には強いから平気・・・って、専門のインドはダメなんですけどね(笑)

で、実はキリスト教思想にも弱いんじゃないか、と思ってます。
中世哲学と言えば勿論スコラ哲学のことで、聖トマス・アクィナスやバスカヴィルのオッカムくらいは勉強してる皆さんも知ってるのでしょうが、それがどのような流れから生まれ、またどのような流れでルネサンスに至るかといえば、ほとんど把握してないんじゃないかと思うのです。
たとえばルネサンスが、15世紀頃にダンテやダ・ヴィンチらの天才らと共に起こる以前に、何度もあったということを知ってる人がどれくらいいるのかしらん。


キリスト教が信仰の中心である欧米はそれでも構わないのでしょうが、ここ日本で哲学する場合は、それでは拙い。激しく拙いと思います。
なぜなら、パスカルスピノザは勿論のこと、キルケゴールニーチェサルトルといった実存系の人達にも、キリスト教の影は大きく落ちています。特に、キルケゴール
彼はルックスがよいことも関係してそうなんですが(本当かどうか知らない)、とにかく「実存」と言えば聖典扱いのような『死に至る病』。その「絶望」というキーワード。これなんかは、簡単に理解できるものではないです。
私も人と変わらず実存から哲学に入りましたが、これほど分からないものだとは思いませんでした。皆さんは分かってらっしゃる風を装ってますけれど、絶対にそうじゃないと思いますね。


とりあえず学習中です。入門書ですけどね。知らない人名ばかりで、かなり大変。面白いですけどね。