Generation Aphrodite

julien2003-12-14

プロジェクトXの再放送をしていたので見ていたんですが、なかなか面白くて見入ってしまいました。
この回は浅間山荘事件を扱ったもので、生まれる前のことだし情報としてしか知らなかったので、色々な人間ドラマがあったんだなぁって。まあ、そういう番組ですけどね。
「おい、こないだあの番組を批判してたじゃん!」って、突っ込まれそうですが、あれには事情があるんです。


プロジェクトXってある時代を扱ってますよね。日本が高度成長の真っ只中にあって、色々な問題を抱えながらも、国民がなんらかの目標に向かって突き進んでいた時代。
この番組の問題点だと私が思うのは、その時代を過去として歴史化しようとする意思が感じられるとこなのです。
人々の生の生を描くこと、それを一般にはほとんど知られてない部分に触れることで、特殊な英雄的な人間に限ったものではない、一般の人々がかつて持っていた「何か」を描こうとすること。
それに、その時代を生きてきた人だけではなく、現代の人々の多数が感動を憶えるということが、あの番組ヒットの理由なんでしょう。
見る人は思うわけです。「熱い時代だったんだなぁ」と。


でも、それってあの時代に限った話なんでしょうか。今だって、人々はなんらかのプロジェクトに向かって動いているし、懸命に生きている人々はいるはずです。
過去と相対化させることで現代の問題を浮き彫りにするのが、あの番組の隠された狙いならば、それは歴史的には間違った方法ではありませんが、あの番組の描き方には司馬遼太郎的方法と呼べるものがあると思うので、そこに含まれている問題点も明らかにしておかなければなりません。



司馬遼太郎の問題点としてよく挙げられるものは、英雄的な視点で歴史を描くことで、庶民的な感覚が見えなくなるということと、それによって時代の闇が見えなくなるということにあります。
そのため、英雄がいない時代というものを彼はついに描くことができなかった。つまり、歴史の闇を彼の方法では描けないということです。
それこそ、ノモンハン事件以降、軍によって日本の政治が蹂躙される時代であり、登っていた「坂の上の雲」が、黒いものに変わっていく時代なのです。
現に彼は、日露戦争を扱った『坂の上の雲』以降の時代を書きませんでした。

私は司馬遼太郎を尊敬していますし、彼の著作を100冊以上読んだくらいですから、ファンと言ったって問題はないのですが、そこにある問題点が含まれていることを考えるのは、別の次元の問題なのです。


前に引用した藤田省三による歴史化の問題を考えれば、そこがよりクリアになると思います。



要するに、あの時代の闇の部分をより詳細に知る必要があるし、そういった闇の部分は、庶民的な英雄視点のプロジェクトXでは描けないということなのです。
私は藤田省三のようにある危機感を覚えるのですが、この感覚は団塊の世代には分かるわけがないことであって、まさしく私たちの問題だと思います。
自分はバブル時代の日本の風景を覚えていますし、アフロディーテが泡の中から生まれたのとは別の意味で、私たちは泡から生まれてきた世代なのです。


思うことは、
私たちも数多くのアポリアに囲まれて、でも、自分の理性も感情もより研ぎ澄ますことは出来るし、そうやって、いくらでも生きていくことは出来る。プロジェクトXが語るものは、私たちの時代にだっていくらでもあるんだ、ってね。