心の膝を屈して

それで、化粧をしない人って考えてたら、哲学者に凄い人がいたことを思い出しました。
それは、シモーヌ・ヴェイユというフランスの女性で、『幸福論』で有名なアランの弟子でもありましたが、人民戦線に参加してスペイン内戦に行ってしまうような、ローザ・ルクセンブルク以上に行動的な人でしたが、スーザン・ソンタグをして次のように言わしめるものでした。

私が念頭にしているのはシモーヌ・ヴェイユの生涯の狂信的な禁欲主義であり、快楽や幸福に対する彼女の軽蔑であり、崇高だが馬鹿げた彼女の政治的身振りであり、彼女の精細な自己否定であり、不断に苦悶を求める彼女のあり方であるが、彼女のかざりけのなさ、肉体的なぶざまさ、偏頭痛、肺結核のことも除外してはいない。ヴェイユの生涯を愛する人でも、こういう生涯を自分の子供に望もうとしたり、あるいは自分の愛しているいかなる者にも望もうとする人はいまい。
『反解釈』

勿論、その後の文で、こういう生涯によって我々は心を動かされ、養われるのだ、と繋げていますが。


でも、そう考えても、私の考えと矛盾するとは思えません。
私はヴェイユと恋をしたいとは全然思わないけれど、彼女がとても魅力的な人ということくらい分かるから。
でも、誰が真似できます?現代のジャンヌ・ダルクとしか言いようの無い彼女は、結核のために若くして亡くなってしまいました。

要するに、ソンタグの言うように、

現代の読者は、おのれのものではなく、またおのれのものになりえない精神的実在の次元にも、尊敬を払うのだ。
同書

に尽きるのです。
まあ、心配しなくても、こんな人は滅多にいませんよね(笑)