理性と自然

julien2003-10-18

ユリシ−ズの逸話と理性の話は、フランクフルト学派テオドール・アドルノの書物のなかに出てきます。
彼は、近代が理性の絶対性を唱えてきたのに対し、アウシュビッツ等を例に出しながら、理性そのものが持つ野蛮性を暴き出しました。
ユリシーズが旅から帰るやいなや示した野蛮性にも、それが現れているといいます。
けれど、神話というもの自体が、人間と神(この場合、自然と訳してもいいのかもしれません)の関係を物語として、象徴的に表したものであるし、そういった象徴化の活動自体が、理性のなせる業でしょう。
勿論、この場合には「近代的」理性と理性を区別して捉える必要がありますが。

とりあえずは、理性に含まれている「自然を対象として捉える」ような視点が批判され、否定されていると、一般的な近代批判の文脈で考えたほうがよいのかもしれません。


もっとも、これに代わる理性のあり方に対しては、充分に考えられているとは思えません。
自然を対象として扱うな、といった議論はよく耳にしますが、では、新たな自然観とはどのようなものか。これには、あまり答えているようには思えません。少なくとも、自然を狭義の「自然」(Nature)に限定しているようでは、まともな結論など出ようはずもないのです。
近代理性による自然観は、そんな簡単に乗り越えられるような問題ではないでしょうね。