精神的な部分に「来る」ものが色々あると、自分のどうにもならない点も見えてくるので、良い経験にもなる。
感情的になる傾向を、ある程度はコントロールできても、それは外側に対するものでしかなく、何かを感じたり考えたりすること自体に対してのコントロールは無理でしょうか。むしろ、コントロールしようとしていないようにも思える。
感情的な自分を、そのままにするような、無責任に放置しているような感覚、それも一種の自己愛かもしれませんが。


法律は、武器じゃないと思います。軍隊のことを連想する必要もないですが、それは身を守るように使うものであって、少なくとも、誰かを傷つけるためのものではないと思う。しかし、実情はどうかな。
哲学的なアプローチで言えばもはや死に体と化した「正義」ということであっても、法律家は社会的に客観化された「正義」といったものを語るしかないし、また語る意味もある。無限定ではなく制限付きでしょうが、公平さや秩序といったものが無視されることはあってはならないはずで、僕自身は、それが機械的なものであってはならないと思うし、そこに色や香り、体温のようなものも必要だと思う。
ふざけて言えば、法律を扱うような人が、ガチガチであるのはおかしいし、小説や詩を読んだり、音楽を聴いたり踊ったりできなければ、いちばん初めに書いたことを実感し、実践できるのかと思うわけです。こんなことは自分が分かっていればいいのかもしれませんが。


しかし、例えば刑法を知っていれば、どこまでは犯罪にならないかの限界を知ることになる。さらに、証拠がなければ有罪にならないということや、どの程度では起訴されないといったものが分かれば、逆に、犯罪をすることへの最適なアドバイスになるかもしれない。恐ろしい話だと思う。
その刑法と実は似たように使われかねないのが税法であって、自分は、選択科目として選んでいるということを超えて、この法律に興味があって、お金をいう人の生活にとって最重要なものが絡むこの制度を学んでいると、社会のある一面が物凄くクローズアップされてくるようで面白いわけです。人間の狡猾さや、知能がそれこそリアルで生生しくさえある。
ただ、適切に使われる限り、税金なくして社会は成り立たないし、良い意味でも悪い意味でも政治が絡む分、下手な経済や金融よりも、深刻で、その分、見えてくる部分も多いんです。というか、経済や金融も理解しないと、税法は見えてこないので、結局は同じような場所を通るのですけれど。
そして、この分野には、怒りはあっても、憎しみはそれほど表面に出てこない。人と人との関係よりは、制度と人との関係。だから、自分のような感情的な人間には、向いているのかもしれません。
税務弁護士は儲かる、といった話をネット上ではよく見ますが、そんな話はどうでもいいんです。そんな話で終われるようなら、こんな無駄なことはだらだら書かないんであって。