s f ward

貯蔵庫一杯に詰め込んだつもりでいても、後から振り返ると、それは倉庫でもなんでもなく、小さな箱が一つそこにあったりする。
その箱が美しく見えても、それが奥底の水面の照り返しで輝いてるだけなのかもしれない。倉庫は、むしろその周囲の闇であって、空っぽなものが目立つだけなのかしら。言葉の切れ端が散乱していて、まるでたくさんの盗賊たちに持ち出されたようだ。いや、盗賊ではなく、呪文を知る一人の男かもしれない。つまり、盗賊は私のほう。

盗んだのではなく、貰ったり、拾ったりしたのだよ、とまるで自分に言い聞かせるようだ。
けれど、そんなことは問題ではなくて、ただのレトリックだ。本当に大切なことは、私が美しい言葉達を求めていた、ことや、それがまるで今の私を見ているかのようだということだけであって。
感傷的だとかロマンチックだとかいうことには意味がない。あるのは、事実、この本棚に散りばめられたかつての人達の言葉であって、それは、私が最近座っている場所の隣にあって、けれど、振り返らなかった場所なのだ。
それは置き去りにする場所なのだろうか。確かに、そこにいた私は一人だったのだろうし、本というものは、その瞬間は誰か一人だけのものなのだ。
しかし、私がいまけしてそのような状況でないとしても、それでも、私はどこかでそれらとの繋がりを探している。いまの私がつながることを。

そうでなければ、私は、いまの言葉のなかで確実に狂う。後になってから、乖離に苦しむ。そうではなくて、私は、確かにあの時間をひっかけたまま、ここにいるのならば、そうならば、私はしなければならないことがある。つき付けられたものだけではなくて、自分からひっかけたものを取り戻す。

本に書かれたことを理解するのは、私なのだろうけれど、それ以外の誰でもいいままに、向かいあう。それは、どこかでリズムを狂わせるんだろう。
もし、過去を失うのならば、私はそれを代償にできるだけのものを、携えて、・・・を変えなくてはならないんだろう。
それは、今を失うことではないと思う。

見えるものではなく、見えないものを探していた時は、いつも言葉に頼ってばかりいた。
それは今とは違うということだろうか。そうでもない、んだろう。
美しい、と感じることは難しい。そう思う。
そう思いながら、見える目標を追うことはもっと難しい。選べるのなら、見えないものを、盲目のままでいいから追うことを選びたい。
そして、本当にいま見えていると思っていることを、もう一度考えてみよう。でも、嬉しいことが多いのは確かなのだ。
懐かしむのではなくて、もう一度、いまとつながるものを引っ張り出して、ここに座ろう。