気付けば1ヵ月以上も日記を放置していましたが、その間に何回ネットに接続したのかさえ、たった10本の指で足りるほど。
新しい環境にも大分慣れて、勉強の方法などでは方向転換もありましたが、人格が豹変したこともなく、とどのつまりは大して変わってません。

ただ、この選択がどこまで自分自身でやったことなのか、明確に記憶しているわけでもないけれど、あの時に消した選択肢も、結局はここにあるのだなあと思います。H先生曰く、決断するというのは他の選択肢を選ばないということである、ということですが、僕はどちらかというと与えられた選択肢を選んだり、消去したりするまえに、別の選択肢を探すことばかりしているようなので。
そういうところは、試験の選択問題と違っていいところで、要は、絶対の正解なんてありませんから。
大事なものが二つあるなら、どちらも選べるように、選択主体である自分自身を変えたりできますから。勿論、何かが犠牲になっているんでしょう。時間は無限にないのですから、こればかりはどうしようもない。
でも、失うか、失わないかという最後の段階まで結論が変わる選択肢なんていうものも、そうはない。

今自分が何を持っているのかを考えれば、それほど怖くは無いです。昔のように、僕、なんにももってないや、という時代とは違うな、と。