2006年2月の雑感

茶髪の風雲児とかいう人がいますが、はっきり言って興味がない。例の番組でもあの人とはほとんど結論が一致しない。
一方で隣にいる酔っ払いの人は好き。法律は無粋だ、と言い切れるのは、悔しい想いややりきれない感情を抱えてるからでしょう。


そういえば、論文の答案練習会で「判例同旨(はんれいどうし)」とやたら書く人がいて、要するに自分の意見は判例と同じです、というアピールなんだけど、考えなくても採点する人はそんなこと言われなくても分かるだろうし、人によっては(学者の先生とか)、こういう権威にすがって自分の頭で考えない奴は嫌いだと感じる人もいるらしい。
なぜって裁判官も人ですよ。最高裁判例に強烈な重みがあるのは当然ですし(原則、それ以上争えないんだし)、能力も経験も積んだ裁判官が考慮の末に考え出した論理が説得力を十分に持つことは当たり前でしょう。でも、中には明治や大正時代の大審院時代のものもいくらでも含まれているし、同じ事案に見えて、事情が異なるなんていうのはいくらでもある。
まるでパズルの解法のように論点を勘違いして、無難な「正解」を出していい気になっているような人を見ていると、まあ、何か相談に乗って貰おうとはとても思えないですね。


今後は法曹(特に弁護士)がうじゃうじゃ増え出すのは明白だし、弁護士になれば金が入る、とか錯覚している人が路頭に迷うのはともかくとして、客観的にそれだけ法律の専門家が社会に増えるということは、事件が起きなくては法律が機能しないような状況とか、企業の顧問弁護といった以外の領域ではあまり弁護士がいないという状況に、変化が起きるのは間違いない。
でも、それによるデメリットだっていくらでもあるはずで、前に友人から「法曹増えれば訴訟社会になって、日本の民度が下がるよねえ」なんて揶揄されたのだって、簡単にいい返したりできないことで。


今までが受験者35000人の合格者年間500人という異常に少なかった状況から、数年後には毎年3000人です。それも、ロースクール卒業者にしか受験資格が与えられないし、ローの学生数が学年ごとにも6000人しかいないんじゃ、それなりに力がある人間はまず合格する。
つまりは、ロースクールの受験段階で大幅に足切りするんですが、でも、競争が減る分、質は落ちるでしょうね。
僕はとりあえず4月からロースクールに入るわけだから、そういうことを肝に命じないとお話にならないんですが、まあ、色々考えてます。

他に、勝ち負けで、白黒はっきり付けるのがいちばんいいわけないんですよ。和解中心の現状にそれほど変化が起きるとは思えない。
ただ、どうしようもない問題に対して、自分なりに解決策を探したり、そういう意味での力が身に付くのはやはり嬉しいですね。
僕は誰か知らない人にエレクトされた人、なんかにゃあなりたかねえし。選んでくれた人のために何ができるんだろうか、と考えていければいいです。