Bizet / L' Arlesienne Suite No.1&2

André Cluytens / Paris Conservatoir Orchestra (1964)


これも僕が好きなクリュイタンス&コンヴァト管(現パリ管)の演奏。管楽器が命のようなフランス作曲家の曲を聴くなら、これくらいオケのレベルが高くないときつい。どのソロパート聞いても完璧で、クリュイタンスの制御も表現もあまりに美しい。
曲自体が美メロの嵐で、クラシック知らない人でも何気なく耳にしたことのあるようなものばかりですが、何度聞いても震える。繊細で情熱的で、今ではもう産み出されないような旋律ばかり。プーランクの美しいメロディにある陰もここにはない。そう思うと、単に和音の響きといったように音の要素に還元してしまえば論理的に理解できるようなものの、メロディといったかたちで構成されてしまえば、単なる全体と一部の関係とは言えない。
オーケストレーション、なんていう言葉も、いわば絵画における絵具の使い方のようなものだし、それが具象的であっても抽象的であっても、ロマン派であっても印象派であっても、点描であっても、ただの技法といった形で時代と切り離すのは意味がない。
時代のなかでの技法といった背景を無視して、ありのままの曲を受け入れるなんていっても、どこまで出来るのか分からない。相手をもっと深く理解することで、こちらからアプローチすることだってできるだろうと思う。
演奏家とホールで同じ時間を共有することだけでも素晴らしいけれど、この音をくれる「今」に対して、私ができることもあるんだろうと思う。そう想いながら聞いてます。
クラブ好きな私が、なぜ昔からクラシックが好きなのか、そんな理由は知らないけれど、雛鳥みたいなすりこみ効果や、俗物趣味だけじゃない何かはあるんでしょう。また、タナトスの誘惑をはねのける力、とかそれだけじゃない。サン・サーンスの「死の舞踏」とか、官能的なだけではなく、やはり生きることそのものだろう。