日常

なんとなく周りを見渡すことなく過ごすような時間のなかでも、悲しいことはたくさんあるのです。
最近はクラシックばかり聞いている。とはいっても、中学生の頃も同じだった。高校3年の時も同じだった。つい前までは、それをすっかり忘れていた。眠るように、無数の音がプラスティックのケースのなかにしまわれていた。けれど、それは久しぶりの再会でもない。
そして、これだけが絶対なのでもないし、圧倒的なのでもない。けれど、今の私にはこれこそがただ絶対で圧倒的。その理由は知らない。知りたくもない。
なんとなく渇いていた。だから水を飲むように聴く。渇いたアスファルトに撒かれた水のように、その音が僕のなかのすべてに沁み渡る。当然に知っていると思ったことさえ含めて、ばらばらになりそうなものたちが繋がっていく。水溶液のなかの分子たちを泳がせる溶媒としての水そのもののように。これでいい。問題もないし、心配もない。明日も明後日も、すべては音のなかに存在する。僕の指の先まで行き渡り、超えて周囲にまで満ちる無数の音の。