Mozart / Piano Concerto No.20 in D minor K466

Clifford Curzon (p) , Benjamin Britten / English Chamber Orchestra (1968)


朝のはなまるマーケットをたまたま見ると、なぜかモーツァルト特集。なんでもリラックスにも病気の改善にもモーツァルトが良いと騒がれているらしく、現にCDも売れてるという。
なるほど、と思うと同時に、当然のようにあることが想い浮かぶ。そしてその予想通りの曲が流れ続ける。つまりは、セレナードや長調曲の明るい楽章ばかりが流れ、小林秀雄の言う「疾走する悲しみ」がどこにもない。
番組では、妖しげな学者が何も音楽のことを知らないことがばればれな解説を付ける。モーツァルトの曲には「ゆらぎ」があるだって。それはヴァイオリンの弦の震えだろう。なら、バッハは?クライスラーは?サラサーテは?
勿論、前提から言ってしまえば、「療養のため」に音楽を聞く、なんていう発想も姿勢も私にはありえない。でも、それは別にいい。そんなのは私の趣向に過ぎないから。
モーツァルトの音楽が持つ力で、病気が治る人がいるなら多いにやっていいと思う。聞く理由はどうあれ、モーツァルトモーツァルトですし。
でも「明るくてリラックスできるのがモーツァルト」なんていう「偏見」が広まるのは止めてほしい。
名曲だけで100以上あるモーツァルトをたくさん聞くというのも結構大変なので、とりあえず映画の「アマデウス」くらいは見てください。あの映画のどこに明るくてリラックスできるモーツァルトがいますか。特に、あの凄まじいラストシーン。サリエリが精神病院の奥へと消えていく時に流れるピアノ協奏曲第20番ニ短調の第2楽章を聞いてほしい。
この曲はピアノ協奏曲の歴史を変えたと言われるくらいですが、それは神が書かせたかのように曲が射程が見えないほど深遠に美しいというだけではなく、計り知れない緊張感と狂気があるからです。
別の映画で有名になった第21番の第2楽章でもいい。それはメロディが果てしなく美しいだけじゃない。そこには言葉にしたり、何かのために利用しようなんていう発想では掴みきれ無いほどのものが確かにある。しかしそれはあまりに実体感があるにも関わらず、まるで霧のように捉えどころがなく、それを言葉にできたら苦労しない。僕もしないし、そもそもできない。
とりあえず演奏について。バレンボイムハスキルのもいいけど、僕はこれがいちばん好き。石井宏さんが絶賛していたのを読んで知った盤で、カーゾンの数少ない音源。テク、表現ともに神の如く申し分なし。そしてブリテンの指揮も本当に素晴らしい。大作曲家の彼の捉えるモーツァルトは創作そのものです。