ポップス奥の細道 〜八日目

この年は時代を象徴する決定的なロックンローラーが二人登場するのですが、二人はこの後の2年間で死んでしまう。それには次回触れるとしても、この頃から夢見るオールディーズ(もちろん私たちの言うそれ)の時代もまた始まるのでした。

045 Domenico Modugno / "Volare (Nel Blu Dipinto di Blu)" (1958)


これは、なんとイタリアン・ポップス。その後、ジリオラ・チンクエッティなんかが登場してポップスの一つの枠を作るユーロ・ヴィジョン・コンテスト。でも、そんな流れを予感させる曲がこの時点でありました。
サンレモ音楽祭の優勝曲にして、全米1位。グラミーで最優秀歌唱賞も取ってしまった名曲。カンツォーネのようでいながら、ロックンロールの影響は感じます。ブルーズも。
そして歌詞は「ブルーな世界の男の夢」です。でも、これはダンディズムじゃない。もっと切ない感情、ポップスでしか歌えないもの。夢見るオールディーズは、こういう感情に溢れる。狭い意味でのオールディーズ時代が始まります。



046 The Teddy Bears / "To Know Him Is To Love Him" (1958)


この3人組は高校生。音響オタクな一人のメンバーが多重録音をやってみて生み出されたのがこのサウンド。あまりにメランコリックで、あまりに美しいメロディに、そんなサウンドが重ねられた時に、オールディーズは幕を開けたのでした。
もちろん、その男こそフィル・スペクター。全米1位を獲得したこの曲と、それを生み出した17歳の少年がその後の時代を牽引するなど誰が予想するものか。
翌年のロックンロール終焉を前に、彼が作りあげようとし、見たものこそ、夢の世界でした。彼にとってのロックンロールとは、ポケットに入るシンフォニーであったし、それは彼らのワグナーでした。彼はこの後に数年間の修行を経て、61年にフィレス・レーベルを立ち上げますが、それはまた別の機会に。
ただ、僕にとってのポップスも、彼の世界と共にあります。彼無しではこの時代はありえない。ロックが死んだとされるこれからの数年が、どれくらい素晴らしいサウンドを生み出したか。それを僕は忘れたくない。だから、こんな企画を続けたいと思ってるんです。


047 Rick Nelson / "Poor Little Fool" (1958)

048 Rick Nelson / "Believe What You Say" (1958)

049 Rick Nelson / "Hellow Mary Lou" (1961)


通称リッキー・ネルソン。芸能一家出身で元子役。ずば抜けたルックスに甘い声。ポール・アンカを超えるスーパーアイドルはもちろん彼です。
そして彼のいいとこは、ロックンロールからバラードまでなんでも歌うこと。その辺がアイドルのいいところで、個性を主張せずに時代に合わせるから、それを映し出す鏡のようになる。さらに、デイル・ホーキンスの「スージーQ」で強烈なギターを弾いたジェームズ・バートンを勧誘して、048、049では凄い演奏させたりと、サウンド設計のセンスもいい。超絶なギターが炸裂している割に、この聞きやすさはなんなんだろう。エヴァリーズの撒いた種でしょうか。
確かにアクはないです。強烈に引き寄せる魔力にも乏しい。けれど、いつまでも聞き飽きないポップスならではの永遠性があります。こういう感覚があれば、時代に批判的過ぎたり、虚無になりすぎたりすることから自由になれるんだと思う。


050 Conway Twitty / "It's Only Make Believe" (1958)


カントリーのスターとして知られるコンウェイ・トゥイッティ。ロックンロールも歌ってたという若き日の彼の代表作。
ドゥワップのゆったりしたリズムとカントリーの融合でしょうか。コンウェイのもったりとしたヴォーカル、美しくて切ないメロディ。溢れるようなメランコリーとドリーミーな世界はポップス以外の何ものでもないです。本当に凄いシンガーだと思う。
でも反面、いちばんクラブから嫌われる音だと思う。ダンスなビートがないってだけなのに。でも、これにそんなものはいらないだろうと思いますが。
だって「君は、ただ僕を信じさせただけなんだ。思わせぶりだね。」っていう、こんな気持ちにそんなものいりますか?でも、こういう感情はどこにだって溢れてるよ。感情が音を生むだけじゃなく、音が感情を生むことだってある。こういう音がないのが、凄く悲しいことだってことになんで鈍感なんだろう。


051 The Chantels / "Maybe" (1958)


夢見る時代はガール・ポップの時代。たくさんのガール・グループたちが活躍するのですが、彼女たちはそのさきがけの一つ。コニー・フランシスなどのソロのアイドルシンガーと並んで、グループが存在するっていうのも、今と変わらなくて面白いです。グループの場合、もちろんポイントはハーモニー。
彼女たちは天才少年フランキー・ライモンと同じレーベル。切ないドゥワップのこの曲で、全米15位のヒットを記録しました。
彼女たちの特徴は、切ないメロディにもかかわらず声の抑揚がくっきりしているからかヴォーカルに芯があります。カマトトぶって、なよなよしているわけじゃないです。こういう感覚はモータウン,特にマーサ&ヴァンデラスなんかに受け継がれていくのでしょう。


052 Connie Francis / "Stupid Cupid" (1958)

053 Connie Francis / "Lipstick On Your Color" (1959)

054 Connie Francis / "Where The Boys Are" (1961)

055 Connie Francis / "Vacation" (1962)


彼女こそ、ガールポップの歌姫、ヒロイン、オールディーズの象徴でしょう。日本でも当時は彼女の曲がカバーされまくって、一時代を作ったのです。この時代はコニーの時代だったんじゃないかと思わせる。
時代を吹き飛ばすような軽快な曲が多い。彼女の舌ったらずなはじける声が絶妙なリズムを作る。ネコみたいに「にゃーにゃー」言ってる053邦題「カラーに口紅」なんて、もう最高。055「ヴァケイション」は知らない人いないと思う。この彼女の声は初期のように軽いんじゃなくて、もっとしっかりしていながら、それでいて本当に可愛い。朝倉いずみ(看護婦)バージョンとは違います。一方、泣いてるような声で歌うバラードも絶品。特に054邦題「ボーイ・ハント」ときたら。
彼女は凄いことに数ヶ国語を話せて、いろんな言葉で自作曲を歌ってます。時代の象徴になるには、そういう地道な努力もあるってことですね。見てる世界がほんとに広い。
ただ、不思議なことに62年を境にして、彼女の人気は落ちて行きます。けして、彼女の美しさに陰りが出たのではないです。この世界と、実際の世界の間に差異が生じたのでしょうか。そして、その隙間に、ビートルズが入っていくといったほうがいいのかもしれない。