国会、面白すぎ。
政治っていったところで、実際は人のすることなんだなぁと改めて思いました。久しぶりに小泉さんの生きた顔を見た気がする。悔しさを隠そうともしない、憎しみさえ隠そうともしない。でも、権力闘争ってそういうものでしょ。
妥協せず、計算して得られる未来像にも捉われず。巻き込まれる人たちは気の毒ですが、そういう場にいるのだから仕方ないですね。
とにかく必死になっている人達の表情って好きです。今後1ヵ月間、ニュースが本当に楽しみ。情報じゃなくて、絵が見たい。顔を見たい。

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解散の影響でこういう事態も発生。
http://www.nikkei.co.jp/news/main/20050808AT1E0801I08082005.html

刑法の改正案とか意外でした。
http://www.moj.go.jp/HOUAN/KEIHO4/refer01.pdf
共謀罪」ってありますが、これは実行行為に参加しない影の親玉を処罰するための法律構成(共謀共同正犯)とは違うようで、なおかつ550罪に適用するらしいので、適用範囲の広さから、陰謀罪や予備罪のような構成要件の修正型かと思われます。条文(修正案では6条になってる)の位置的にも総則である以上は、そうなんだろうと思う。
でも、予備や陰謀は、ごく限られた犯罪にしか規定されてません。殺人や強盗といった凶悪犯罪だけ。未遂罪だってそうです。器物損壊未遂なんてありませんから。
で、予備は犯罪の「準備」という実行行為を観念できるとする学説もあるくらいなので、「実行行為不要」の共謀罪というのは本当にぁゃιぃものとしか思えない。それに、その予備罪でさえ、不明確なものだと批判されるほどです。他人を予備する行為は、犯罪を犯す故意を欠くものとして、可罰性が否定されるくらい。


日本ジャーナリスト会議が反対表明を提出していて読みましたが、治安維持法だとか極端な例を挙げているので、実際のところどうなるのかよく分からない。

対して、東京弁護士会の意見書は分かりやすく、問題点がクリアに示されています。
http://www.toben.or.jp/abouttoben/opinion/2003/doc030707.html
やはり、共犯の本質を変えかねないようで不安です。
共犯従属性というのは、分かりやすく言えば「正犯なき共犯はなし」ってことで、誰かが実行行為をしなけりゃ共犯は処罰されないってことです。


共謀を罰するってことも、結局は法益侵害をどこに認めるかなんでしょうけど、共謀しただけで処罰ってことは、直接的な侵害がなされずとも、侵害の危険性だけで処罰するってことですから、侵害犯類型ではなく危険犯類型(例:名誉毀損罪は危険犯で、相手の名誉が実際に害されなくても、侵害の危険性さえ発生すれば成立)が増えることは目に見える。しかも、550あるってことは、現状で侵害犯であるものまで、危険犯類型になることも考えられる。
となると、何をしちゃいけないのかが不明確になって、国民が不安になるのは当然です。刑法の自由保障機能が害される可能性は否定できない。


あ、それに、たとえば殺人の共謀が為された場合、ほぼ確実に「殺人共謀罪」なるものが成立するんでしょうが、となると今までの「殺人予備罪」も成立しそうだし、これとの法条競合が起きる。どうすんの?という感じ。共謀は準備行為とは違うというのかな。となると、準備行為をしない共謀のほうが、懲役5年以下で、予備の2年以下よりも遥かに重くなるという不均衡が生まれるんですが。
自首したら刑の任意的減軽とか書いてますが、こんなの予備にもあるしね。


まあ根本的に変なのは、刑罰の重さだけを基準にして、重いものには全部共謀罪を新設する、っていう適当さですね。立案者は刑法の基本さえ知らないようにしか見えない。誰ですか?


それに、そもそも共謀罪を犯罪論体系上どう扱うつもりなんだろうかと疑問点だらけ。たぶん、予備や陰謀の同類だとは思うのだけど、これを明確にしないと、真面目に刑法の運用が困難になる可能性がある。それがいちばん不安です。
前田雅英先生など結果無価値の立場の方は、これをどう思われてるんだろうか。都立大系の方がいたら教えていただきたいです。私は行為無価値なので、共謀もある程度はイメージできるのですが。