身の回りのもの

伝統ってやつのことを時々考えたりする。そんな時間あったら勉強するべきなんだろうけど、いままでの僕がやってきたことはそっちのほうがずーっと長いから、クセみたいになってます。
ただ、音楽のスタンスや趣味と同様に、僕は広く浅くが体質なんで、いろんなものの様式やパターンを見て、何かを参照するのに使うってことばかり。
ただ、実際に何かを見ている時にそのことを他と比較したり、じっくり観察するってことはあまりしない。正しくは、全然しない。。そこまでいちいち深く考えないし、意識的にやったりしてないです。一貫した視点なんてものは人に説明する時に示すもので、楽しくてやってることを、いつも一定の視点から眺めることなんざできやしません。それは研究者的学者のやることなのかなぁ。どうも肌に合わない。
基本は関係性なんです。他のことをやってる時に、前に見たり考えたりしたものとつながる。そういう偶然の出会いのほうが楽しい。だから、誰かと話してる時に思い付いたことを、そのまま喋ってることのほうが多いので、前もって準備して何かをするわけじゃないです。

でも、最近思うのは、それだけでいいのかと思う。いままで考えてきたことを、もう一度再構築したほうがいいのかなぁとも思うので。
長い間聞いてなかったアルバムを、久しぶりに聞くような感覚っていったほうがいいんでしょうか。そこで新しく感じるものってとても多いのですが、そういう出会いを偶然に任せっぱなしっていうのも少し寂しく感じるのです。
でも、人の出会いも同じで、なんでこの人と出会ったんだろう、とか考えると切りが無いのと同じくらい、実際は出会えていない人がたくさんいるのだし、何より逢わなくなった人のことを考えることなんかに意味あるのかな、とか虚しくなるのです。

僕の場合は原点回帰したいわけじゃないし、自分を探すとか、そういうことには関心もないので、単に中途半端に感じてるのが嫌ってだけなのかもしれない。でも、そこそこ長く生きてくると、積もったものが多すぎて、なかなか収拾がつかなくなってくるのです。そのくせ、整理するのが下手だし、古いものを捨てることもできない。
なかなか一つだけ大事なものを選ぶって難しいです。それに、環境も変わると、部屋に置いてあるのに気が付かなくなってしまうものもあるんだなぁと。
でも、置いてあるだけで存在がキラキラしてるものって好きです。気が付かない間に香を放っている花みたいに。ふとした瞬間に気が付いて、凄く幸せな気分にしてくれる。
そんなふうに身の回りにあるものに意識的になってみたいだけなのかも。
身近なものを大事にするって難しい。盆栽を大事に育ててるお爺さんとか凄いと思います。