西山記者

今日の朝日新聞を見ていたら、西山太吉(元毎日新聞記者)さんが国相手に訴訟を提起したことが書いてありました。
「西山記者」と言われても「誰?」といった感が強いと思いますが、憲法判例を勉強している人なら知らない者はいないだろうと言うほどに有名な名前でして、約30年前の「外務省機密文書漏洩事件」で刑事犯として有罪にされた人です。
この事件は、憲法学では「表現の自由と国家機密」に関連して出てくる判例です。
事例は、西山記者が外務省の女性事務官から入手した文書に、アメリカと政府との間の沖縄を巡る「密約」を示すものが書かれていて、当事は国会・世論を巻き込んで大騒動となった事件らしい。
本来ならば、その内容によって政府は総辞職、その後も大きな責任追及されてしかるべきものだったのですが、西山記者及び事務官の行為自体が、国家公務員法に触れることで起訴されてしまい、特に彼が文書を入手する際に行ったこと(既婚の事務官との男女関係)が批判された結果、彼の「表現の自由の行使に伴う正当行為」という主張は退けられ、有罪に確定したというものでした。

つまり、暴かれた文書の内容が問題になるべきなのが、単なる男女間のスキャンダルに摩り替えられてしまったわけです。実際に判例集を読んでも、表現の自由と国家機密の関係が論じられることはあっても、法学とは無関係な、機密内容の政治問題には触れられていません。

ちなみに、この事件の影響力は凄まじく、毎日新聞はその後事実上の倒産、西山記者は失業、事務官は懲戒免職してさらに離婚、メディアの金科玉条だった「報道の自由の絶対無制約」は粉砕され、メディアと国家との関わりにおいても、歴史的な事件だと言えるでしょう。

なお、今回、西山さんが訴訟に踏み切ったのは、数年前に「密約」に関する文書をTBS記者がアメリカで入手したことに始まっており、彼としては、政治によって本来の問題が闇に葬られたことの屈辱を晴らしたいとの想いからのようです。こういうのは、法学からは全く窺えない問題ですね。

記事を読んでいると、起訴状に「情を通じて」という文言を記載した検察官(現在は政治家)が、「通常はこんな記載は書かないが、事件の真相を国民に知らせるため」にあえて書いた、という発言を聞いて深く想うところがありました。実際にも、「表現の自由に対する弾圧だ」と騒いでいた世論が、この記載で一気に反毎日に転向したという経緯があったそうです。メディアも世論を意識してか擁護を放棄。
どうも、政治的な力が及んでいることを窺わせます。「男女関係」が発表されたタイミングもしっくりこない。最初はプライバシーなどを考慮して公表されなかったとしても、「あえて」というあたりには、佐藤内閣による影響があったように思う。確かに検察庁は行政組織であるけれど、政府からは独立した保障を受けていますし、公共のために自分の判断で動くべきではないでしょうか。どのような経緯で記載に踏み切ったか、その辺りが明らかになれば。。
一記者の「不道徳な行為」よりも、密約という政府の「背信的行為」のほうが、国民主権からは問題にされるべきだし、裁判所も機密内容の重要性をその後評価できるような、判断を下せなかったのでしょうか。
どうも、司法を巻き込んで政府の「スキャンダル」を封じ込めたような印象が強いです。

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あー、でもそれは司法の役目でもできることでもないですね。やはり、野党の政治家が政府に責任追及できなかったことが大きい。ただ、野党の追い風になるべき世論が、こういう状況に流されてしまったことにどこか悲しいものを感じます。「不道徳」は分かりやすい。鉄道会社の責任よりも、「ご主人様」「王子様」なんてキーワードに興味が流されて行くのにも納得です。個人的にはどうでもいいんだ、あんな事件。

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閑話休題

確かに、司法は行政に踏み込むべきでないし、三権分立はきっちり守られるべきものですが、そもそも国家機密の漏洩を罰することで守られる法益は、国民主権に資するべきものでしょう。刑法並びに刑事訴訟の役割は、公共の利益(犯罪者を罰することで国民を保護する)ことにあるわけであって、政府を単に護衛するものではありませんし、現にそのような趣旨で法定され、問題を生じないように解釈運用されています。メディアが安易に批判するような、権力側に与するような制度にはなっていません。煽動行為を処罰する破防法のようにかなり問題のある法規も存在しますが、大半はそんなものではありません。制度を知らないメディアによる安易な批判に素直に乗せられるわけにはいかない。
だから彼が罰せられたこと自体は、その行為を法に照らすことで仕方がないことだとしても(実際に最高裁の判旨は妥当だと思う)、そのために、文書の背後にあった国家の行為を闇に隠すような結果になったことには納得できないものがあります。


なお、密約の存在はアメリカの情報公開でほぼ明らかにされたのですが、未だに存在を認めようとしない政府はどう反応するのでしょう。西山さんの損害賠償請求を認める認めないに関わらず、この問題をどのように裁判所が判断するかには関心があります。
7月に東京地裁で第1回口頭弁論が開かれるようなので、傍聴に行こうかと思います。


→事件の概要
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E5%B1%B1%E4%BA%8B%E4%BB%B6