憲法改正論議って、あまりニュースにならないけど進んでるんですね。たまーにやっても、9条関連ばかりで、断固反対を主張するS民党やK産党にしても、そのあたりに批判を集中させているし。
でも、それだけじゃ全然甘いんですね。
先日、J政党のF田議員の説明を聞いていたら、憲法上、国民に新しく義務を課すべきだとか言ってるんですよ。
バカだなあ、と思ったのは、社会保険料やら年金の強制納入義務で、「払わない」と言ってる人多いから、憲法で規制しちゃえ的発想なんですが、憲法はそもそも抽象的なものだし、具体的な必要はないんです。そもそも「金がないんだよ」と思うなら、税金の一貫にすれば、現行憲法でも問題なく徴収できるんです。予算の決定権限だって国会にあるんだし、それ自体の必要性は認められるんだから、あとは国民が納得できるような法を制定すりゃいいんです。巧くいかないから、法で規制しちゃえみたいなのは最悪ですね。法律の留保ってやつになりかねない。様々な利害対立のなかでも、大切な価値をちゃんと守り、いちばんベターな解決策を示すこと。そういうのが最高の報酬を貰う議員の仕事でしょう。そういう努力を怠って、ふざけんなです。


でも、こういう話なら、笑ってりゃいいわけですよ。
恐いのは、家族の同居義務やら、憲法尊重擁護義務を国民にも課す、なんて言ってることですね。
義務と権利は裏表なんて思っちゃだめです。そもそも、国家権力は圧倒的に強いんです。人間の権利なんてものが、紙切れ同然に扱われかねないことは歴史を見ればすぐに分かります。治安維持法のような、恐ろしい特別刑法がちゃんと議会を通過して成立してしまうんです。
そういうとんでもない時代の反省から作られた日本国憲法は、国民には納税・勤労・教育の義務を課すだけで、あとはほぼなんにも義務を課していません(例外的に、12条が「権利を不断の努力で守る」よう言っていますが)。そもそも、国民主権なんだから、主権者が自分の国を維持するために税金を払うのは当然だし、税金の使い道も、一応は国民代表機関である国会によって議決されます。勤労に関しては、罰則は社会権を受けられない程度であるし(「働かざるもの食うべからず」的な一般感覚の範囲)、教育も、主権者を育てる唯一の方法ですから、国民主権から正当化できます。
じゃあ、憲法尊重擁護義務が何かといえば、これは憲法が国家を制約する法であることから来てます。公共の福祉にために働くもの、つまり公的任務に従事する皇族および公務員にのみ、この義務を課しています。まあ、物凄く合理的ですね。
憲法は、このような例外的な人々以外には、憲法価値を批判することさえ一向に自由であるといっているのです。
ただ、憲法の私人間適用(私人間にも憲法価値を適用して、問題解決を図るというもの。民法の一般条項(民90条公序良俗違反など)解釈などで間接的に使う、など)という、難しい問題が絡むので、単純にはまとめられませんが、原則、憲法は一般国民を規制する法ではないということです。ただし、あくまで「憲法は」ですから、法律の規制から人間が自由なんてことはありえません。人を殴りたいから殴る、騒ぎたいから騒ぐ、なんてことが許されないのは言うまでもないわけで。
法律間の関係を言えば、大半の法は国民の行動を一定範囲に規制することにありますが、それらの法が憲法価値に反するのは許されない、ということになっています。近代以降においては、国家が国民を直接制約するなどありえないので、間接的に法律という形式を取るわけです。前述の治安維持法なんてその典型例でして。だからこそ、憲法がこうした法律や制定する国家権力を規制する最高法規として重要なのです。法の支配原理における、「正義の法」というやつです。


そんなわけで、憲法は国民にはほぼ義務を課さず、あくまで盾として国家から人権を守るために機能するわけです。それを義務にするなど、権利条項を無にするに近いようなことが、たいして法に詳しくない議員(詳しいからこそ、あえて改正しようとしている可能性もあり)によって、いびつな改正案が作られつつあるようです。
ただ、これは現行憲法の趣旨に著しく反する可能性が高いので、法案として成立するのかなあとは思ってますが、とりあえず状況を見守りたいところですね。