状況が引き裂く

id:quawabeさんが、例の騒音で逮捕された女性のことを書かかれています。音楽と社会との関係性とは、まったく自分自身考えていなかったことで、情報集めなどせずにスルーしてました。リンクされているものを見ていくと、さすがは2○ゃん、見方の多様性が素晴らしいですね。
しかし、読んでいくうちに自分がある種の見方に偏向していることをかなり認識させられました。傷害罪の認定で、その方法が無形的なものでも構わない(有形的、例えば殴らなくても傷害行為になる)という割と珍しい事例なので、そういう方向で見てしまう。リーガルマインドといわれるものは、公平、正義の実現、そして事例を法律に当てはめることで解決する能力ですから、あそこまで自分本位な行動で、被害者多数の場合、加害者の事情を考えるのは難しい。でも、それは間違っていて、もう少し事例を深く分析しなければならないわけです。勉強になる。
でも、それとは別に深く考えこんでしまう事情もあります。
私はこういう瞬間に、自分がマイノリティなものに惹かれる反面、それを遥かに凌駕するほど保守的であることを嫌というほど意識させられるわけです。子供の頃からの生活環境か、絵画と花とクラシックと西洋陶磁器と紅茶に囲まれすぎたせいか、私はどうにもならないほど伝統主義者だし、スノビズムに汚染されているし、体制的な感覚だって相当レベルにある。世間や世界、政治に対して腹が立つのは、結局、秩序や合理性(ただし表面的なものだけではないですが)に繋がらないことばかりをしたり、無駄が多いからであって、自分の感性はサブカルチャーよりハイカルチャー、Bボーイやストリートよりもモードやトラッド。まあ、それに素直に「はい」と言うこともできずに、ふらふらしたりしましたが、秩序や合理性を愛することは変わらない。

中学生の頃から、ナポレオンよりもメッテルニヒタレイランに同感したし、ルーマニアチャウシェスク政権が崩壊した後の暴動で美術館が襲撃され、多数の名画に銃弾が打ち込まれた写真を見たりしたせいか、革命は死ぬほど嫌悪している。
昔からハムレットが好きなのは、彼のなかに理性と狂気に挟まれて苦しむ姿を見出せて、共感するからです。生きるべきか、死すべきかではないが、私はそういう意味で常に引き裂かれてるし、それはどれだけ時間を過ごしたところで変わりはしない。巻貝の渦に惹かれながら、二次関数的な整除な曲線も好き。頭では下らない、と思いながら、フラクタルも好き。でも、それはそこにきっと整然とされた秩序を感じるからだろうな。って、なんだか、澁澤龍彦の影響が本当に大きい気がしてきた。伝統を踏まえた狂気が好きなんです、きっと。無秩序は大嫌い。カオスのなかに人間がコスモスを見出してきたことに、今も支配される。