いまも、このさきも

生活を支配するものはなんなんだろう。
数年前とはまるで違って見える景色を眺めていながら、人それぞれのフィルターがあって、自分ではそれと気付かないくらいに、その中で泣いたり、笑ったり、ため息をついたり。
必死で追い求めたものも、私は確かに今もここに息づいていると感じて、ただその姿を自然と変えて、それに満足しながら、明日も生きる。
でも、もしかしたら、それもまたフィルターを通して見ながら、それをそれと感じているだけなのかもしれない。責任感に包まれて、そのなかで生きる方法だってあるだろう。それを外側から眺めて、可哀想だとか思う必要もないのかもしれない。人が思うよりも、人は結構幸せに向かっていってるのかもしれない。
客観的な正しさなどはないし、その場面、場面のなかで、思い悩み判断しながら、ゆっくりと歩くことだって、それは楽しいものなのかもしれない。
できれば、もっと時間を超えた視力で世界を眺められたら、と思う。詩人たちの描いた世界では、刹那が永遠の命を与えられているように感じる。
彼らはもうどこにもいないのに、見た世界は、ただそのままに、私の一部にもなって、世界に少しだけ別の色を付けてくれる。
穏やかな時間を探すのは、何気ない日常のなかでだってできる。


気付けば自然と出会い、今では自分にとって大切な時間をくれる人たち、彼らと話している素晴らしい瞬間のこと、なかなか会えなくてもチャットだけで私を嬉しくしてくれる人たち、勿論今ここにはいないけれど、思うだけで次々と顔が浮かんでくる全ての友人たちのことを思うと、いろんな言葉が出てくる。
そう思うと、今のこの瞬間に私はとても満たされる。この時間をともに生きる、すべての友人たちにこの胸いっぱいの感謝を。