手紙

報道ステーションを頬杖つきながら見ていたら、妹から親友の友達が自殺した、と聞いた。
思えば1年に1回はそうゆう話が聞こえてくるし、2年前には個人的にも少し知っている人が自殺した。前からあまり好印象は持ってない人であったけれど、それでも、意識しなくてもふと思えばどこかに必ずあるだろうなと思える何かが無くなった気がした。
一つ、どこかで鍵が無くなったように思えた。そして、もう誰もその家には入れないのだろう、と。

そうやって、世界からはいつだって何かが確実に失われてゆく。忘れてもすぐに思い出せればすむようなものじゃなく、確実に無くなって、どこにもしまえないものなのだ。
冷たく言ってしまえば、それは私にとっての大切ななにかじゃないからこそ、失われゆくことがまるで雪のように淡くて、無関係な何かだからこそ、自分の肌に触れない感覚に凍りそうになった。それは寒いせいじゃない。寒さはここにあるけれど、それらはここにもない。そして、もうどこにもない。
何時間も前に吸った煙草でさえ、ここには汚れた吸殻としてあるのに。
吐く息の透き通る白さも、煙草の濁った煙も、何もかもここにあるけれど。
死んだ人の顔は、輪郭さえも見えない。


いま見えるものも、感じるものも、それを言葉で語れるのならば、私は自分を支えるために、適当な言葉にコーティングをして、今を吹く風でそれを繋げて、忘れないように日記帳にメモして、あとはそれを閉じてすべてお終いにできる。

でも、知らないことには何も語れない。
まるで知らない人が書いたメモのよう。「あそこではこんなことがありました。そして、彼は死んだ」
そこから物語りは何も始まらない。


長い長い手紙を書きたくなる。
誰宛でもない、けれど誰かが読むための手紙。
自分宛ての手紙のような、長い手紙。誰かが受け取ってくれれば、何かが消えてしまったことと、もう戻れないことを想ってくれれば。。


立ち止まれば、こんな言葉はすべて偽善に見える。
けれど、誰に対して想うわけじゃない。今だって、私はひどく冷静で言葉を探すだけ。
ただ、届かないものばかりなのが、今は少しだけ恐い。ただ、それだけ。


そして、想えば見える顔もある。でも、届かない。届けられない。
声は届くのに、でも、それだけじゃ足りない。
日々にあることは、みんなどこか重なり合う。そんなふうに世界はどこか似てる。