もう、対岸の火事ってこと?いやいや

http://www.asahi.com/politics/update/0127/003.html
こういう方向へと向かっていくのでしょうかね。
私は、愛国心を否定する気もないですが、それは自主的に持つ人を批判しないってだけのことで、教育で植えつけるものでもないでしょうに。
明治や大正期(あえて昭和初期とは言わない)には、このような意識を持っていた人は多かったのかもしれませんが、それはもっと積極的なものであったはずで、例えば、経済なら澁澤栄一の資本主義にあったものも、自負心や責任感に基づいたものだったと思うのですが。依存心とは別物でしょう。


教育改革に関しては、ほとんど笑いながら眺めていますが、結果は10年、20年経たないと見えてこない。それなのに、ここ数年のドタバタ騒ぎはなんなんでしょう。つい先日も、鳴り物入りで導入した「総合教育」の時間を減らして、基本3科に回すとか。
確かに、ここ数年の学力低下には驚きますが、それだって昔と比べてどうこういう問題でもないと思う。1975年の大学進学率は男子で27%、女子は10%ですよ。最近は47と33だったかな。


ゆとり教育に関しては、笑ってしまって何もいえないです。そりゃ、学力だけが人間の尺度などという価値観はそもそも大間違いなので論外ですが、競争社会の弊害なんてものは、競争社会をなくすことで改善するのではなくて、それだけでは判断できない人の価値や、能力を社会に取り込む仕組みを作ることで改善すればいい話。
あ、ゆとり教育といえばで出てくる「円周率3」で思ったのですが、円について扱うのって確か小6なんですよ。でも、中1で「π」を習うので、ほとんど意味が無い。
まあ、ゆとり教育などとバカなことを言うから、勝ち組、負け組みとか本気で考えてる人でなしが増えるわけで、そもそも彼らの言う「負け組」が増えれば、経済は、失業率の上昇で破綻するわけです。また、経済格差は、需要と供給のバランスが崩れるので大変です。社会保障費は増える、税金も増える、かといって、弱者切捨て政治は社会の退廃を招く、治安も悪化する、と悪循環。首謀者はともかく、振り込め詐欺の実行犯って、ほとんどが少年だって言うじゃないですか。なのに、累進課税を弱めるとか、なぜそういう発想しかできないのだろうか。少しは、森を見ましょうと言いたい。
浪費されている部分を巧く活かさなければ、構造改革も無理です。こんなのは常識的な話。本来、教育の場は、可能性でいっぱいなのだよ、ワトスンくん。


私は「人材」とかいう、人間を商品のように見る言葉が大嫌いなんですが、それでも労働力をどう活用するかは緊急課題なわけで、それなのに社会には人を評価するための、より効率的で合理的な基準がない。これだけ技術が進んでいたら、もう少しうまくやれると思うのに、いまだに雇用では、古い就活システムが健在で、昔と変わっていない。もう少し、人間を多面的に評価して、社会化するシステムがないのだろうか。フリーターや引き籠りが悪いなんて思いもしないし、批判する気もゼロながら、どうにも勿体無い気がする。政治家なら、そう思ってしかるべきでは?なら考えようよ。できないなんて言わせない。1万年前には、人間には文字だって無かったんだぜ。森有礼も泣いてるよね、きっと。


で、実は私は、画像技術や印刷技術の発展を活かした、ある評価システムを考えていたりします。数値や文字だけではなく、より視覚情報を活用することで、もっと多面的な評価を簡潔さを維持しながらできるようにするものなのですが、2年前に、文科省がやっているプログラムに出場して発表しようかと考えていたものの、結局それに出場せず、その後ずっと忘れていたのでちっとも進んでいません。いつか、実現させたりするかもしれませんが。別に、他のどなたかが同じようなことをやってくれてもいいです。せっかくの技術を、端末画像の綺麗さとか、偽札作りに活かしたって意味ないじゃん。


話を戻せば、私はバイト柄、中学生の教科書を見たりする機会があるのですけど、国語の教科書に誰の文章が出てると思います?森鴎外夏目漱石?とんでもない。乙武君ですから。本当に残念ですよ。ちなみに、あれの著者はゴーストライターです。で、ここにきて愛国教育と来た。ある程度、競争しながら、もっと頑張ろうって思うことが、なんで悪なんでしょうかね。悪いのは、成績だけで評価して他の面を見ないことだったり、無意味な劣等感を植え付ける環境なのでは?
やっぱり構造改革は必要なんです。郵便局が民営化する以外のところで。誰もやらなくても、私はやりたい。うん、そのためにも今は頑張るわけです。で、賛同者は随時、一生求めます(笑)