昨日、今日

julien2005-01-10

何気なく昨日思ったことは、あの人へは私がいつも電話を鳴らすということ。だから望まない限りは、声はどんどん聞こえなくなるということ。
けれど今日の午後、一人カフェにいた私宛に突然電話は鳴った。けれど聞こえてきた声は、やはりどこか遠かった。
一人一人は、みな自分の影を背負って思い思いの方向へと歩いていく。誰かがある日ふらりと旅に出て、そしてまた戻ってきて、一緒に珈琲をすすったり、お酒を飲んだり、音楽を聴きながら踊ったりして、声と声とが交わって、華やぐ場所を私にもくれる。


喧騒に途切れがちな電話の声を聞きながら、私の心にはもう何の迷いもないし、引きずるものも、痛む胸もないことが静かに思い知らされた。けれど、笑ってその我侭な頼みごとを聞き入れている私は、まるで鏡のなかに閉じ込められているような気もした。
鏡の向こう側の私が全然笑っていないように見えるのは、目の前にいるからではなく、遥か遠くの誰かの横顔に似ているからだろう。暗い喫茶店の、あの古い椅子に座っている誰か。あの場所で閉じ込められたままに、私はこんなに遠くに来てしまったんだと強く感じてしまった。銀座の裏通りのあの店はもう何処にも無くて、だから気付かないままに、そこに置き去りにされたものがあったんだね。
包み込むもの、あの日の風も、あの日のまどろみも、もう何もかも私たちを繋いではくれない。当たり前のように別々に歩いて、別の場所で息をして、光を浴びて、夜を過ごしていたことが、静かに語りかけてくる。


いつから私は、自分のためだけに必死になれるようになったのだろうか。
チェリーを真っ白な煙に変え、意味もなく目の前を見つめながら、くるりのばらの花を聞いていたら、言わなければならないことがたくさんあることを思い出した。
私が何を思うのかよりももっと大切なこと、誰かに聞きたいことがこんなにあることをずっと忘れていた。そして、聞き忘れたことがこんなにたくさん。。。
半分に折れた屏風絵、どこにも見えない紅梅、隔つ流れ。


欲しいものは、正しさなどではなく、長い間私はまるでテスト用紙を前にする子供のように、一人で頭を抱えて唸っていただけのように感じる。昔からすぐに答えが見えることに慣れすぎて、答えを出すこと以外にできることがあるなんてことを、考えることさえしないままに。

もう合わせることじゃなくて、少しづつずれていく世界を見ていこう。今のこの世界と、遥か遠く小さくなってしまったものが、静かに優しく柔らかく、切り紙のように重なりあっていちまいの絵になっていくように。