"失われた感覚を求めて" Vol.10 〜River Deep Mountain High〜

julien2004-10-01

ポップスの最高傑作ロネッツの"Be My Baby"が63年で、ビートルズアメリカ上陸が翌64年だというのは印象深いとはいえ、まだポップスの意味がはっきりと変わったわけではなかった。
スプリームスロネッツもその後もシングルを出してたし、まだビートルズ以前からのポップスとロックンロールは共存していた。
これが大きく変わり、ポップスの意味が完全に変化するのはいつ頃からなのだろうか。
こんなことを考える意味は無いようにも思えるが、私が言いたいのは、もっと現代にも通じるような意味である。
それは、黒人音楽と白人音楽の、ポップスにおける共存なのである。
ある時期から、これははっきりと分立する。例えば、70年代は、すでに分離が為されていた。
そのため、ファンやマニアも、黒人音楽だけ、白人音楽だけ、となる傾向が甚だしく強い。
80年代後半からのハウス、ヒップ・ホップの登場で、この垣根はある程度壊されることになるが、それでも目に見える分離は存在する。これは現代に至ってまでも続いているのだ。


1967年、一時代を作り上げたレーベルが閉鎖される。その名はフィレス。
そして、これは一人の男の舞台からの退場でもあった。フィル・スペクターの時代は終わった。
66年、絶対的な自信で送り出したアイク&ティナ・ターナー”リヴァー・ディープ・マウンテン・ハイ”の商業的失敗の結果だった。
おそらく、この時に時代は変わった。ポップスの意味は、音の壁の向こう側で変わったのだろう。


それにしても、音楽の神様は時々きついジョークを言うものだと思ってしまう。
アイクとティナ・ターナーは夫婦だが、アイクの人間的な酷さが一つの才能となって、ティナ・ターナーの能力を引き出してしまった。
まるで霧の向こうで鳴り響くようなスペクターの「ウォール・オブ・サウンド」はここで完成、彼はロックンロールを正しく理解していたが、当時の人にはまるで分からない凶暴なものだった。
ポップスの黄金期を作り上げた男は。それを理解しながら、融合にも成功しながら、世間の理解を得られなかった。
彼はあまりにクールで職人だった。死の匂いとも無縁だった。

しかし、彼がプロデュースしたのは大半が黒人である。この自由な感性は、彼の退場とともに失われてしまった。
「川は深く、山は高い」
ここまで時代を超えた真理を表明してしまうと、もうそこが限界である。プログレの未来をも予測していたとしか思えない。
黒人音楽と白人音楽は、深い川と屹立する山によって分離してしまう。
ジョークもここまで来ると、残酷すぎて笑えない。


スペクターは2年前に殺人罪で逮捕されたが、なんとも現実感の無い話だと思った。これも神様のジョークなのだろうか?