仮面の男

明日は朝からあの終わってるヤツの顔を見なければいけない。不快。
さっさと別れを告げるというのもありなんですが、すると逃げたように思われるし、そういうふうに舐められるのは嫌なので、とりあえず継続。
するとヤツの対処法を考えなきゃいけない。まあ、タイプは分かったので、そういう接し方をします。
つまり嘘つきになるってことです。あ、俳優といったほうがいいかも。優しく、素直で、控えめな対応をする。うーん、昔の俳優みたいだ。そう、キムタクのような演技とはいえない素の自分を押し通すスタイルは、彼に天賦の素質があるからです。彼の演技っていつも同じ。役名なんて誰も覚えちゃいません。役目が”キムタク”ですから。ああいうのは真似しちゃいけません。
やるのは「はい」「ごめんなさい」「ありがとうございます」みたいな。”反省したんです”というフリをする。俺自身のちょうど反対を演じる。
ああいう経験のないおぼこさんは、立場からくるプライドとお勉強の自信の二つで自分を成立させてるので、まあ、これで楽勝です、間違いなく。そのほうが俺も楽だ。
後は、演じることのかったるさと、それで維持される状況のメリットを天秤にかけて、だるさが優った頃合を見計らって「さようなら」です。

しかし、虚しすぎる。仮面を被るのを拒否し続けてやってきたのに、こんなんでいいのだろうか。まあ、一種の実験と位置付けておきます。
少しは(聞く耳持たない系の)優等生さん対応策に慣れておかないと。ああいう人間とは関わりたくないんですが(必要性もないし)、それも逃避の一形態なのかもしれません。

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法律って確かに堅苦しいものなのですが、基本的には常識通りに出来ているんです。つまり、常識に沿ってやってる人の権利を守るためにあるってことですが、法律には人を縛るってイメージもあります。事実、刑法は”刑罰”という名で、一定の条件を満たした(罪を犯した)人を制約するためにあるわけですが、そのための手続きに関しては厳格に保障しているんですね。これも当たり前の話で、人を不愉快な目に合わせるには、そうなっても当然だと客観的に本人に納得してもらう必要がありますから。だから、弁解の機会を与えるのです。一方的に、お前は悪い、などと誰にも言われないようになってます。

それが分からずに、自分の考えが絶対だと考える人、こういうのをバカといいます。もろもろの経験不足、コミュニケーション不足の成れの果てですよね、たぶん。かといって、「バカの壁」があるからぁ、なんて納得してもまったくもって仕方がない。だって、俺も充分にバカですから。駆け引きだよね。人を理不尽に嫌な目に合わせない。俺は優しいわけでもないのですが、人とは一緒に笑い合っていたいしね。

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演じることは、けして悪いことじゃないと思う。それはペルソナの問題ですから。本人が分かっていればいい。そして、分かる人にはそれがペルソナであることが分かる。分からない人は、信じて楽になればいいんです。たぶん誰も不幸にならない。本人以外は。
なので、これでも調子に乗ったら、ペルソナを脱いで彼女のプライドを改善(破壊ともいう)します。コミュニケーションはお互いに勉強ですから。