Hilary Duff / Metamorphosis (2003)

julien2004-06-22


ブルーの正反対にいそうで、実は結構ブルーなんじゃないかと思うんですよね、こういうの。
まあ、どうブルーかといえば、「少女の存在がブルー」としか言いようがないんですが。あ、ちなみに、半分ネタ入ってますので。
で、ここ数年日本でバカ売れする洋楽アルバムは、たいてい少女アーティストなんです。アヴリルT.A.T.uのように。
買ってる層も間違いなく少女。女子中高生が中心でしょう。あまり言われないけど、タトゥがあそこまで売れた理由は簡単だと思うんですよ。ずばり制服着てるからです。これはもう間違いないと思う。あれってきっと共感なんです。
ヒラリー・ダフは元TVの人気アイドルですね。で、この女優・アイドルが歌手になるっていうここ数年流行っているパターンを最初にやったのは、言うまでもなくジェニファー・ロペス。で、この辺りでアメリカのヒットチャートにいる女性アーティストの傾向がこの辺りで変わるんですよ。
マライヤ・キャリーやセリーヌ・ディオンに代わって、美貌と存在感を全面に押し出すタイプに一気に変わる。カイリー・ミノーグの復活にはこうした背景があるんですが、象徴は何と言ってもブリトニー。
ブリトニーの存在は、アーティストという枠を超えて、ファッションリーダーのそれです。こういうのは実はアメリカではあまりなかった。
アメリカのスターって、女優であり、モデルであり、ミュージシャンであっても、少女の代表というような存在はあまり無かった。日本と違って他民族国家っていうのが大きいんでしょうが、「女」として歌う人はいても、「少女」として存在する人は、ごく稀な例外を除けば、ほぼいなかったんですよ。少なくとも、こんなブームは無かった。
少女は、女である前にたぶん少女で、そういう気持ちは他の誰も代弁してくれなかった。そこにブリトニーが出て来て、ファッションのセレブ化がすすむ。それを逆輸入したのが浜あゆで、日本でもかつての女子高生・現在の女子大生がセレブ化。この間隙を縫うように、ストリートの象徴としてのアヴリルが登場。バブルガム・パンクを歌う少女アイドルってなわけで、ブリトニーと人気を二分してアメリカでの快進撃が続いてるわけです。ただ、なんで彼女のメイクがゴスなのかは分かりませんが。。
では、ヒラリーはなんなのか。答えは簡単。セレブな格好してアヴリルのように歌うアイドルです。この曖昧さが、今後どのように彼女に影響を与えるかは知りません。ただ、こういう曖昧さ、くっきり分けられないところにも存在が求められるのも、必然なのかなと。男には可愛けりゃいいのかもしれませんが。
で、アルバムの内容は元気でセンシティブな少女像のオンパレードですね。タイトルの「変化」なんて、テレビアイドルから歌手への変化、少女から大人の女への変化とか色んな意味が込められてるんでしょうね。まあ、分かりやすいんだけど、これはこれでいいと思う。名盤じゃないけど好盤です。アイドル=売れ線狙いって感じで、無視するのはいかんと自分に言い聞かせる。可愛い子好きだから、言い聞かせる必要もないんですが。
ASIN:B0000AGWES
・・・amazonに書かれてる批評はめちゃくちゃですね。なんでこういうファッションだからって「セクシーなビスチェ」じゃなきゃいけないのか。「バービー人形」ではダメなのか。「少女」に対する捉え方が根本的に間違ってる。比較でしかものを見ないそういう見方が偏屈になるっていう典型例です。女子高生と思われる方のコメントがいちばん的を得ています。